「落下の解剖学」


今年度アカデミー賞作品賞をはじめとする主要賞にノミネートされている本作。個人的に作品賞受賞作とは相性が良い時悪い時あるんだけど、脚本賞ってやっぱり一定の面白さが担保されているような気がする(ジャンルの好みは別として)。監督はジュスティーヌ・トリエ。

人里離れたフランスの山荘で暮らす家族。視力を失った息子が介助犬と散歩から帰ってくると、父親が血を流して雪の中で死んでいた。彼の死は自殺か、他殺か、それとも事故か。法廷における供述でつまびらかにされる「家庭の事情」と「真実」の行き着く先はどこなのか。

宣伝にあるような「唯一の目撃者は盲目の息子だけ」という、サスペンス・ミステリーでよくある展開から想像するストーリーとはちと外れていて、どちらかというと法廷劇というか、「法廷で暴かれること」と「真実」の間には実は無限の距離があり、法廷という場所は必ずしも真実を追求しているところではないという部分が浮き彫りになるようなストーリーだったなと思います。この映画が最後まで「本当には何があったのか」を提示しないのも、ミステリーではなく「法廷」「裁判」というもので人間が何を失うのか、ということに焦点を当てているからなのかなと。

この映画はフランス製作で、劇中の設定そのままに、ドイツ人の妻とフランス人の夫がフランスで生活しており、英語とフランス語が飛び交う中で暮らしている…というのをキャスティングにも反映しているわけですが、この言語というのも大きな役割を果たしているんですよね。母語ではない言語でのやりとりに不自由していないサンドラが、裁判で英語で話す許可を得てから語るその言葉の自由さが際立っていて、再現される夫婦げんかのなかで、母国で暮らす夫と、何もかもから切り離されて家族という縁しかこの国にないサンドラでは、それは見えている景色は全然違うだろうなと思わされました。

たまさか録音が残っていた夫婦喧嘩、過去の過ち、軋轢、夫の死の真相というものの着地点(真実とは限らない)を見つけるために日常の一部分がクローズアップされるけれど、夫婦とは、家族とはそういうものじゃない、と訴えるサンドラの言葉が印象的。あと、最後の証言の前に同じ家で過ごすことを息子に拒絶されたあとの車のシーンね…。あそこのサンドラ・ヒュラーの演技圧巻すぎた。「夫を殺してない」と主張するたびに「そこは問題じゃない」という、かつての恋人?恋人未満?な弁護士とサンドラが安易に焼け木杭には火が付くみたいな展開にならないのもよかった。

ところで、いぬがあまりにも名演技過ぎて、パルムドッグ賞そりゃ獲りますわってなったし、だからこそおまえさあ…という気持ちが抜けない。泣いたってゆるしません(いぬは無事です)。

そもそも頭を殴ったのだとしたら凶器は?とか、こんな疑われやすい状況で計画的殺人を起こすか?とか、理詰めというより裁判の進行が感情面に寄りすぎていたような気はするけれど、たとえ無実を勝ち取っても、裁判によって晒された事実の断片、晒されたことにより失われた何かがこの結果で戻ってくることはない、という重さも含めて、見てよかったと思えた映画でした。