「修羅天魔~髑髏城の七人 season極」

f:id:peat:20180324133908j:plain
約1年3か月にわたる髑髏城マラソンもとうとうファイナルラップに入りました!なんとか5シーズン6バージョン完走してこれでもうこの劇場に来ることもないのかなとか思ってたけどふたを開けたら次はメタルマクベスだっていうね!またお世話になります!(ヤケ)

さて大トリを飾るのは極楽太夫天海祐希を迎えて、捨之介のいない「髑髏城の七人」新バージョンといいますか、極楽と天魔王の間の因縁を物語の大きな縦糸にした、半分新作といったような物語です。以下思いっきりネタバレを含みます。

この1年間、ずーっと「もう知ってる物語」を見てきたせいもあるんだろうけど、この新作部分は非常に新鮮でした。心の底から「中島先生完全新作が見たいです…」とスラダン名場面してしまいたくなるほどに「新しい物語」に飢えてたんだなーおれ、と思いました。でもせっかく新作部分を書くならもっと大胆にいってほしかった感も否めず。そのキャラ、その台詞、そうまでして残す?と思ってしまった部分もあり。

極楽(お蘭)が鉄砲撃ちなので、とうぜん立ち回り部分を誰かが担わなくてはいけないわけですが、そこを川原さんと山本亨さんの役柄を書き足すことでカバーする、これはすごくうまくいっていたと思います。狸穴の役を大きくするのはすごくいいアイデアだったし、新作部分の柱でもある(そして最後までその謎で引っ張る)「蘭と約束を交わしたのは本当の信長だったのかどうか」に狸穴が一枚噛むことで「どちらが真実か迷わせる」(こういうとき、狸親父の名を後世にまで恣にしている家康というキャラが効きますよね)のもうまい構成だった。そして何よりふたりの立ち回りがたくさん見られる!これは嬉しかったですね。特に今回、川原さんが帰ってきてくれて、これだよ~!感ハンパなかったし、かつ七人の中に入ったことがなんというか、功労賞というか、なんかぐっときちゃいましたね私。まあ人数数えて足りねえなってなって、こりゃ生きてるなとは思ってたけど、髑髏城で再会するとこはもっとここぞ!でどかーんと出てほしかった気はします。

無界の里を仕切っているのが夢三郎というキャラで、これがいわゆるトリックスターというかなかなか面白いキャラクターでした。最初兵庫とブロマンス風のやりとりをしていたので、これでこのあといろいろあって二人が殺し合うようになったら最高だな(そういう性癖ですいません)と思っていたらまんまと望み通りの展開がきてあーりがとうございまーす!ってなったよね。ただ今の造形だとちょっとサイコパスに寄りすぎているのが個人的には難かなという感じ。親父にあまり愛されてない自覚ありつつ、無界にちょっと心もありつつ、でも最終的には親父の命令にどうあっても逆らえない愛されない息子とかだったら私の倍率ドンさらに倍であった(知らんがな)。そういう意味でも兵庫は夢三郎との部分をもうちょっと書き込んだほうが盛り上がったのではないか(私が)。というか、無界襲撃のあとの「良い子分持った」まで全部ひとりでばら撒いてひとりで拾わせるのさすがに酷では!?と思いましたね…。福士くんの兵庫はかなり好きなセンなので、原形にこだわらずこの本ならではの兵庫像をもっと突き詰めてもよかったのにな~。それにしても竜星くんは今回の殊勲賞をあげてもよいと思うぐらいぐいぐい舞台を引っ張る場面があってよかったです。身体のキレもすばらしい!

天海さんはさすがの引き受け力というか、センターに立つことをよくわかってらっしゃる佇まい。構成上、最後に天魔王と一騎打ちになるのが髑髏城城内じゃないので、クライマックスの絵作りに苦労している感はすごかった。やっぱり鉄砲での対峙では立ち回りで「一発勝負の奇襲技だ」のカッコよさを凌ぐのは難しいですかね。とはいえ、ぐるぐる構造を文字通りぐるぐるさせて走馬灯にしていたのすごかったです。演劇で見せるリアル回想シーン(ただし舞台裏は戦場)。原さんを歌わせてオモシロ髑髏党を存分に見せてたのはめっちゃよかった。ああいう無駄なオモシロはどんどんやってほしい。長いからこそあの一発で終わらせるのが面白いわけだし。三五が夢三郎に裏切り美学からモノ申すのも好きだったなー。三宅さんカンテツという鉄板の人材投入もあって、安心して面白がれるネタがあったのはやっぱり大きかったですね。やっぱり笑い、大事!

古田御大はちょっと台詞を噛みすぎだ!いやそんなこといっててライビュの回とかではかんぺきに仕上げてくるんだろうけども(笑)。個人的には信長のときのあののんしゃらんとした感じが、近ごろとんとお目にかかれなくなった古ちんの昔取った杵柄感があって「ああ~~~信長さまもっと生きて~~~」と思った私だ。とはいえ、この物語の天魔王は英海軍とのエピが全削除なこともあり、ちょっとなにやりたいんだか正直わかんない(自分でも「自分の存在を知らしめようとして余計な時間を」と言っちゃってる)のもあって、役に説得力を持たせるのも結構難しいような気はしました。

新作部分の新鮮さに引っ張られた部分も多くあり、1幕長ぇな!とは思いつつもなんだかんだ楽しく見られたと同時に、もともとの物語の骨格を面白く活かせた部分もあれば、殺すところもあったなーというのが発見だったかな。カーテンコールがぐるっとパターンじゃなくて、古田の水吹きを久しぶりに観られたのは嬉しかったです。あと天海姐さんのカーテンコールの「たっぷり」ぶりな!さすがですぜ!

さて、次の7年後の髑髏イヤーは…あるんでしょうか!ないんでしょうか!どっちにしても私のぐるぐる髑髏イヤーはこれでひとまず終了です!おつかれさんっした!

「シェイプ・オブ・ウォーター」

f:id:peat:20180325233442j:plain
ギレルモ・デル・トロ監督。今年のアカデミー賞作品賞受賞作!おめでとうございます!

子供の頃の虐待が原因で声を喪ったイライザは航空宇宙研究所で清掃の仕事をしており、豊かというわけではないが理解のある友人と一緒に日々を過ごしているが、ある日研究所にある生物が運び込まれる。その未知の生物とイライザは次第に心を通わせるようになる…というあらすじ。

筋立てだけ見れば、実はその生物は悪い魔法使いに姿を変えられていた王子様なのでした…というおとぎ話展開にもつながりそうですけども、決してそうではなくて、見えているものを見えているもののまま受け入れる人間と、完全であることに取りつかれている(そうせざるを得ない)人間がかなりドロドロとぶつかり合うので、個人的にはこれを大人のファンタジーというくくりでは見られなかった感じです。

登場人物は皆どこか完全ではない部分があり、それを受け入れているんだけど、ストリックランドだけは「完全であること」を証明し続けなければならない人間で、しかもその彼が指に受けた傷の欠損から文字通りだんだんと欠けて追い込まれていくのがなかなかキツかったっす。

冒頭の判で捺したようなイライザの生活の描写も、おとぎ話というよりもどこか生々しいのがよかったです。あと、イライザと魚人さんの心の通わせ方があまりにもまっとうで、まっとうであるがゆえにうつくしいラヴストーリーで、だからこそそこに自分が一番ノッていけない…ということを見ながら実感しました。どんだけラヴストーリーが苦手なのか自分!

イライザの靴の描写とか、古い映画館を独り占めにするシーンとか、あの卵をめぐるやりとりとかが特に好きでした。あとイライザを演じたサリー・ホーキンスはめちゃくちゃ手がキレイな!ストリックランドに手話で「クソ野郎」っていうとこのあの手の美しさ!ほれぼれしました。

「ブラックパンサー」

f:id:peat:20180311170255j:plain
ライアン・クーグラー監督!2/16全米公開、3/1日本公開でわずか2週間の差でまだ恵まれている方!ですが、いやー待ちかねた!本国ではまさに他を圧する圧倒的な興行収入を叩きだし、試写の感想も上々でしたので本当に楽しみにしていました。

シビルウォーで正式に顔見せとなったワカンダ王国とブラックパンサー。物語は先王ティ・チャカの死後、王に即位するティ・チャラの物語に、今まで鎖国状態となりヴィブラニウムという貴重な資源を守ってきたワカンダに迫りくる外圧との戦いが描かれるのですが、資源を占有し他国との交流を絶つことで自国の平和を維持するという考えと、それとも価値をシェアし国の門戸を開くことで全体がよりよい社会になることを目指すのかという、非常に今日的な思想の展開があり、今まさにどこに国でも現実に直面する課題にスーパーヒーローも向き合うことを正面から描いていて、かつひとつの回答を出させていることがすごいなと思いました。問題の提示だけするのはわりと容易いかもしれないですけど、その中で決断までさせている、しかもその決断に至る描き方が非常にうまい!

今回のヴィランでもあるエリック・キルモンガーは幼い時に親を殺され、軍で身を立て、自力で高等教育を習得し…と、ここだけ読んだらこれ完全に主役(ヒーロー)のスペックですよねって要素てんこ盛りのキャラなんですけど、その彼が自分(と父)を見捨てたワカンダに、そして現在進行形で世界の悲劇を見捨て続けている(と彼は思っている)ワカンダに乗り込んできて、「正当な手続き」を経て王となるという、この展開がしびれますよね。彼はワカンダにおいて簒奪者じゃないんですよ(むしろ簒奪された側)。だからこそかつての仲間がティ・チャラ陣営とそうでないものに別れるという私的にたまらん展開になるわけでね!

とはいえ、この展開があることであの「王に選ばれる儀式」をそっくり2回繰り返さなきゃいけないというのはアクションの組み立て的にはちょっと流れが停滞した感は否めず。かといって最初のバトルを不戦勝にしてしまうと、そのあとのバトルで負けるティ・チャラ(彼は自らの正当性をこの時見失っているからこそ負けるのですが)の王としての適性が見えにくくなるし、エムバクのキャラも立たなくなってしまうしでこれはいかんともしがたい選択ではあるよなと。

アクション的に楽しかったのはやはり韓国・釜山でのクロウとのチェイスですかね。あそこは音楽もめちゃくちゃよかった~~~でもって何がってオコエが最高ですよね。いやもうあの真っ赤なドレスでこんなに絵になるアクションありますかって場面の連打!もう、惚れるしかない!ヴィブラニウムの車に乗って「銃とか野蛮ね」って吐き捨てるとこしびれました。個人的に今回の一押しですよオコエ…。ティ・チャラを敬愛していても、「王の親衛隊」としてキルモンガーにつかざるを得ない、あの苦渋の選択!最高か!

オコエもかっこいいしナキアもかっこいいし(陛下が一回ナキアにフラれてるってのもうまい設定)、シュリちゃんはいわずもがなのキュートさかつ万能キャラだしで女性陣がほんとみんなめちゃくちゃよかったです。その女性陣に囲まれてるティ・チャラ陛下のおっとりした感じもすごくよかった。なんて愛されキャラなんだよ陛下~!

能力を引き出すハーブを飲んだあと、ティチャラもキルモンガーもそれぞれの「origin」と対面するんだけど、キルモンガーが帰っていくところがあのオークランドのアパートの一室で、憧れて憧れて何度も読んだであろう絵本と、わたしがまちがっていたといって涙する父と再会するっていうのがたまらなかったです。そしてティチャラは最初の儀式では父の偉大さを称えるのに、二度目の儀式では父の選択の過ちを質すという…ふつう、こういう「この世にすでにないものとの対面」って最後に和解がきそうなのに、その順番が逆になっているのもすごい展開だなと思いました。

今回ほぼすべてのキャストが黒人俳優で構成されていて、クロウをやったアンディ・サーキスと、ロス捜査官をやったマーティン・フリーマンが例外、という感じでしたが、マーティンの振り回されながらも最後やるときゃやるキャラもよかったし、クロウがまためっちゃいやな役で、アンディ・サーキスさすがやな…!と思いました。

このブラックパンサーを製作するにあたって、マーベルは相当に強い意志をもってことにあたったんだろうなということが、製作が発表された当初からひしひしと感じられていました。ライアン・クーグラー監督の起用(「クリード」は本当に最高なのでみんな見てね)も、チャドウィック・ボウズマンとマイケル・B・ジョーダンふたりの起用も、前段にあたるワカンダのストーリーを「シビルウォー」のきっかけとなるエピソードにしたのも、すべての美術、衣装、映画をとりまくあらゆるものに妥協しない、これだと信じられるものだけで作り上げる、そういう意思の強さがこの映画には結晶となっている気がします。映画はもちろんビジネスだから、当然ながら「どれだけ客がはいるか」というのは大きな問題です。ただ単に興収のことを考えたら、数多あるMCUの人気キャラクターをどこかで配置したくなっても不思議ではありませんが、しかし、そういうことをしなかった。だからこそこれだけの熱狂を生んだんだろうし、ビックバジェットムービーだからこそできる、ビックバジェットムービーにしかできないことを見事にやってのけたし、なによりもこの映画を貫くそういう意思の強さに、わたしは心底胸打たれました。

そしてその胸打たれた状態で迎えたポストクレジットシーンで、おーい!知ってた!知ってたけどね!とひいひい言ったわたしです。いやーほんとうにインフィニティウォーが楽しみですね!

「グレイテスト・ショーマン」

f:id:peat:20180311144609j:plain
マイケル・グレイシー監督。全米公開当初は批評家の評価のも芳しくなくオープニングこそ伸び悩んだようですが、そこから驚異の粘り腰で公開から3か月経った今日現在でもベスト10に居続けるという快挙!歴代興行収入でも、ミュージカルにおいてはシカゴに引き続き第4位ですって。文字通り観客の口コミでここまで支持されてきたという感じ。日本では2月16日に公開、こちらも絶好調で大ヒット。日本はほんとミュージカル映画の食いつきが良いよねえ。

19世紀の実在の興行師、P.T.バーナムを描いた映画で、いわゆる「マイノリティ」に光を当てた人物として描くも、一皮むけば「マイノリティ」を搾取した人物という見方ももちろん成立するわけで、どこかで引っかかっちゃったらポジティブな感想につながりにくい部分はあるのかなーと思いました。展開がどんどこどんどこ歌ってるうちに進んでいくので、物語としての書きぶりに納得がいかない人もいるかもですが、しかし個人的にはそこが非常によかったとも思っています。バーナム自身の成功への飢えとそれによって切り捨てられたものがあって、ただ最後までバーナムが「本当の意味でのしっぺ返し」に合わないというのはまあ映画ならではだよなと思いましたし、逆にこのテーマでしんねりむっつりやられてたら多分楽曲とダンスの魔法が消え失せてしまっていただろうとも思います。

バシッときまったヒュー・ジャックマンのオープニングから「魔法にかける気」満々のスタートで、その後も出てくる曲出てくる曲みんないい!しかも、その楽曲の見せ方がまた輪をかけていい!シーツの波にかこまれるA million dreams、酒場でのトリッキーなやりとりも含めて最高に魅せるThe other side、リンドの孤独が響くnever enough、そしてこの映画を象徴する圧倒的なアンセムTHIS IS MEと、いっぺん映画を見ただけでしかも楽曲を覚えないことに鬼ほど定評のあるわたしでもあっという間に虜にされちゃう音楽と演出の強さ!これは何度でも観たくなっちゃうやつですわ~リピーター増えるのわかるわ~!

個人的にはこうしたマイノリティを引き連れた興行師の物語ってことでどうしても「じゃばら」でも描かれたトム・ノーマンのことを思い出してしまいました。映画ではひどい悪人扱いだけど、実際にはジョゼフ・メリックは興行主のことをいちども悪く言ったことはなかったという…って、何を見てもじゃばらを思い出すマンで申し訳ないが(そんなに好きか)(そんなに好きなんだよ!)、いやーやっぱり再演!再演しようよ!(話がそれた)

ヒュー・ジャックマン人間力がこの映画の魔法の大きな推進力になっているのは疑いないですし、フィリップをやったザック・エフロンがねー!もう!なにあのかわいさ!ゼンデイヤちゃんとのナイスカップルぶり!あの二人のナンバーも最高によかったな…。リンドを演じてたのがレベッカ・ファーガソンでほんとなんなんでしょうかあの美しさ。ヒューさまとの絵になりっぷり…。いやはやほんとに思いのほかというか、うきうきと楽しんで観られた映画でした。というかやっぱり中毒性が高い。もう1回見にいくかどうかめちゃ悩んでます。そしてもう1回見に行ったら後戻りできなくなる予感がする…。

「三月大歌舞伎 夜の部」

「於染久松色読販」。玉三郎さんの土手のお六、仁左衛門さんの喜兵衛の顔合わせ。お染の七役は七之助さんで拝見したことがありますが、そのときも(あの早替えが大きな眼目となっている中)じっくり見せてもらえるこの莨屋のシーンはとっても印象的で、七之助さんのお六も勘九郎さんの喜兵衛もすごく良かっただけに、それを仁左玉でとは!見に行かないわけにいかないでしょコレという。
玉さまお六、伝法な口ぶりだけど情のある感じとか、仁左さま喜兵衛のワルの魅力爆発ぶりが堪能できる莨屋の場はもちろん、瓦町油屋の場でのおふたりの人を食った芝居ぶりがなにしろ最高。ゆすりが見事に失敗したのに強請った方にも強請られた方にも愛嬌があって楽しい場面に仕上がっているのがすごい。花道でのやりとりまで隙なく楽しめました。

神田祭」。個人的に今回チケットをとった最大のお目当てが「於染久松」のほうだったので、そういえば神田祭も仁左玉コンビだったワーイお得きぶん!とか思ってたんですけど、あーた。そんなね、お得!とか言ってる場合じゃなかった。時間にして約20分ぐらいですかね、もう、脳内の開いちゃいけないフタが開きっぱなしになったぐらいすごい20分間だった。眼福とか目の正月とか言いますけどそれを濃縮還元したようなあれだよ(どれだよ)。仁左衛門さまの鳶頭、玉三郎さまの芸者、いい男といい女を絵に描いて3次元化したらこうなりましたみたいな佇まいだし、しかも!芝居の中で!いい男といい女の極北が!じゃらつく!やばい!もう、語彙もしぬよ!客席全員がふたりにあてられて尊い…と手を合わせながら焼け野原になってるイメージでした。実際、ふたりがふっと目線を交わすたびに身もだえしたし、頬を寄せる仕草にいたってはハアっ…!という声にならない声がもれたし、なんなら私の前後左右全員もれてた。ありゃもれる。もれます。花道でここぞ!というタイミングで「ご両人!」の大向うがかかって、さっとそれに仁左さまが照れてみせる仕草があったりして、いやもうこれ永遠に観ていられるやつや…と思いました。本当すごい。この私の文章で皆さんが想像する、その想像の100倍ぐらいすごいです。幕見でもいいのでぜひ見に行ってほしいです。そしてキミも一緒に焼け野原になろう!

「滝の白糸」。新派の名作、ということでもちろん名前は知っていますが初見です。あらすじもあまり把握せずに見ました。歌舞伎をよく見るようになってから、今までこれはちょっと好みじゃないなと思うような舞台でもぐっと好きになれたりって経験が数多くあったのですが、新派にはなかなかふれる機会がなかったんですよね。筋立てとしては面白い所もあったんですが、好みかといわれるときびしいところだなと思いました。自分はああいう悲劇に美しさを感じられるタイプの人間ではないのだった。あと、そりゃまあどうしてもそうなっちゃうよねってのはわかるんですけど、場の転換で気持ちが切れちゃう。白糸の最後の裁判のシーンは、背中で語らせる非常に難しい芝居で、これは壱太郎くん挑戦しがいがあるだろうなーと思いましたね。松也さんの欣弥も説得力のある芝居ぶりでよかったです。

「FUN HOME ファン・ホーム ある家族の悲喜劇」

  • シアタークリエ 4列18番
  • 原作 アリソン・ベクダル 脚本 リサ・クロン 演出 小川絵梨子

2015年のトニー賞受賞作品を小川絵梨子さんがミュージカルを初演出、プレビュー時のシアターゴアーなみなさまの評判がとても熱く、上京のタイミングにむりくりスケジュールをつめこみました。

楽曲がなかなか一筋縄ではいかないというか、難易度の高いナンバーが並んでいるな~という印象。そこを歌いこなすキャストの皆さんもさすがなんですが、個人的に歌のうまさとドラマに酔う!という物語の展開でもないので、歌だけではなかなか高揚しきれないという感じ。大学生アリソンが恋の喜びを爆発させる場面とかはよかったです。

個人的にはこの演目は何といってもあの父親との最後のドライヴの場面が白眉だと感じました。物語を描いてきた(主人公は漫画家なので)アリソンが、ついにその記憶の中の父とのドライヴをふりかえる…あの、電線、電線、の繰り返しと、いま、いま、話さなければとおもうのに言葉の出ない空気、そしてそれが、ついには父とすごす最後の時間となるのだ、ということを知っていてあの時間をふりかえることの重さ。

デルトロ監督の「シェイプ・オブ・ウォーター」を見たのはこの芝居のあとなんですけど、この物語の父にちょっとストリックランドの影を見るような気がします。完全であれ、ということを求め続けられることと、その反動。

ひとりの女性の幼少期と大学時代と現在が行き来する構成で、このあたりの見せ方のうまさはさすが小川絵梨子さんだなという感じでした。シアタークリエにお邪魔したのもひさしぶりな気がしますが、日比谷は今ホットスポットなので(!)今後はこれほど間を空けずにお邪魔したいなと思います。

走れば間に合う、そう思って走れ

観劇を趣味にしていると、いや、観劇に限ったことではないかもしれないが、基本的に「劇場」で「ナマ」で観ることが主軸となる観劇には、多くの場合、「私はあの作品に、あの役者に、あの時代に間に合わなかった」というような後悔がつきものだったりする。私にももちろんそういうものがたくさんある。青い鳥時代の木野花さん、花組芝居時代の篠井さん、もっといえば第三舞台の岩谷さん、往年のつか戦士たちによる紀伊国屋ホールでの「熱海」。とはいえ、間に合わなかったものの数を数えていて目の前にあることを見失うことは文字通り本末転倒だ。そうして間に合っても間に合わなくても、結局わたしたちは劇場に通う。

今年の夏の新感線の公演がまたもやステージアラウンドシアターで、メタルマクベスを3バージョンのキャストで連続上演するというニュースが今朝のわたしのTLを占拠した。disc1と称された座組のトップクレジット、起き抜けの私は携帯を見てひゃーと声をあげた。橋本さとし橋本さとしが、新感線に還ってくる。

21年ぶりの新感線出演だそうだ。ということは、もはやさとしさんが居たころの新感線を知らないひとのほうが多くても不思議ではない。

へんな話だが、わたしはどこか「劇団新感線の橋本さとし」に「間に合わなかった」というような、うっすらとした後悔にも似た気持ちがどこかにあった。いや、もちろん、私はさとしさんが新感線に在籍していたころの舞台を見たことがある。何度も。だから物理的に間に合っているかいないかで言えば、完全に間に合った観客だ。でも、逆にいえば、ただ見ていただけともいえるのだった。その頃の新感線は、わたしにとって決してフェイバリットな劇団ではなかった。役者として古田さんのことは好きで、また見たいと思えていても、新感線自体にそれほど惹かれていたわけではなかった。それでも公演に足を運んでいるのは、その頃のわたしが「手あたり次第何でも見る」時期にあったからというだけだった。

だが、新感線はある時期から、打つ玉がとにかく規格外によく飛ぶ(方向はさておき)というような時代が到来して、それはその後96年の野獣郎見参、97年の髑髏城の七人、98年のSUSANOHと、「やりたいこと」と「みたいもの」が何もかもすべて音をたててはまっていくような時期を迎えることになる。しかし、橋本さとしさんは、そのさなかに劇団を離れた。その決断じたいがどうこうということではないし、そもそも、その後のさとしさんのたどった道をみれば、一種のサクセスストーリーですらあると思う。誰でもが帝劇のセンターを張れるようになれるわけではない。

しかし、私にとっては、自分が全力で新感線を追いかけ始めた時期と、さとしさんが劇団を離れた時期が、完全にクロスすることになってしまったのだった。その後もたくさんの舞台で、さとしさんをお見かけしている。じゅんさんと久しぶりに共演した「噂の男」、扇町OMS閉館のときの「オロチロックショー」、新感線を観に行くたびに、さとしさんを客演に呼んで欲しいとアンケートに書き続けた。30周年では出るのではないか、35周年で通りすがるのではないか…とあわい期待をどこかで持っていた。今の新感線にさとしさんが出たらどんな芝居を見られるのだろう。その芝居を見たい。今度は間に合いたい。

捨ててしまったものもどってこないけれどなくしたものなら急にかえってくることあるんだぜ。と、わたしの好きなアーティストが歌っているけれど、そう、一度交差して離れていった線はふたたび交錯することになった。ぐるぐる回る劇場で、あの橋本さとしが、新感線のセンターに立つ。かつて噂の男で共演した山内圭哉さんがさとしさんを評したことばが好きだ。「プレイスタイルでいったら完全なパワープレイヤーですよね。それが年々パワーアップしていることがまずすごいし、稽古でもとにかく迷わず思い切ってやることで、誰よりも早く正解にたどりつくみたいなところがある。」

あの劇場のことをわたしはまだ好きになれないし、これからも好きになれないかもしれないが、でもそう、近鉄劇場がなくなったとき、ハードの喪失を嘆くな、ソフトの喪失を嘆けと誰かが言っていた。ハードだってソフトの一部じゃないかとおもうけれど、でもそれでも、その言葉には一理があるのかもしれない。ハコはどうあれ、橋本さとしが新感線に還ってくる。私は間に合ったのだ。ながいこと何かをすきでいるのはなかなかしんどいこともあるが、こういう想いが報われることもある。わたしのほかにも、たくさんの報われた思いがあったのではないかとおもう。どこかにいるであろうそのひとたちと、ひそやかな祝杯をあげたい。おかえりなさい。