「キンキーブーツ」

  • オリックス劇場 3階5列56番
  • 脚本 ハーヴェイ・ファイアスティン 演出 ジェリー・ミッチェル

もともと持っていたチケットを諸事情で手放すことになり、一時は「初演見れたし諦めようかな」と思ったものの、東京公演が開幕すると案の定絶賛しか聞こえてこず、こうなることはわかってた…と思いながらいろいろ手を尽くしました(当日券の電話の繋がらなさよ…)がそれもダメ、万事休す!と思ったら!最後の最後に希望日時を「お譲りします」という方を見つけて奇跡的に入手!文字通り諦めたらそこで試合終了だった!

初演ももちろんすばらしかったですが、同じ座組での再演ということもあって演じている役者たちに自信とプライドが倍掛けで備わっており、その自信とプライドでオープニングから観客をつかんではなさない。幸福な再演だな~としみじみ思いました。そしてたった3年という期間ながら、初演時と今とではジェンダーの問題、LGBTQ、多様性、そういった言葉がもっと深刻に「わたしたちの」問題として認識される時代になってるんだなってことを肌で感じました。それって実はすごいことで、「人間は意識の方が先に代わるから、常に現在が野蛮に感じる」というのはある社会学者の言葉ですが、今の時代を未成熟だと感じることは悪いことじゃないと思うんです。日本版のポスターが、初演は「三浦春馬」と「小池徹平」のドレスアップしたショットだったのが、再演では「ローラ」と「チャーリー」のショットになったのも、「小さいけれど偉大な一歩」だし、それを成し遂げさせたのはこの充実した座組と作品の力だと思うんですよね。

しかし、三浦春馬はしみじみとすごい。いつか時間が経てば、彼以外の役者がこの「ローラ」に挑戦することもあるのでしょうが、その人はとんでもなく高い壁に挑むことになるだろう、と今からしなくてもいい心配をしたくなるぐらい、圧倒的です。すごいのは、単に踊れる、歌える、というだけでなく、この役をやるにあたってちゃんと肉体の重要性を認識し、それを実践して手に入れていることで、そりゃもう説得力が違うよという感じ。出の瞬間から観客の視線を惹きつける華があるのはもちろんなんだけど、なんというか彼のローラには拭いきれない孤独の影があるんですよね。それを打ち消すためには圧倒的に輝くしかない、そのためのヒール、そのための赤、そのためのドレス、そのためのウィッグ。だからなんというか、その輝きに胸をときめかせながら、同時にその背中がどうしようもなく健気に見えて、わけもなく胸がいっぱいになるんです。三浦春馬のローラにはその輝きと切なさが共存していて、ほんとうに得難い存在だなと改めて思いました。

小池徹平のチャーリー、初演はピュアネスが際立った感じが強かったけど、今回は「ありたい自分」とのギャップにもがくさまがリアルで、だからこそあの二幕のローラとケンカするとこ、お前マジで百回土下座しても許してもらえねーぞ!?みたいなことを言うのが非常にヒリヒリしましたね。ソニンのローレンは本当に最高of最高で、ローレンが決して「都合のいい女」な造形になってないのもこの舞台の大いなる魅力のひとつだよなーと思います。

3階席からの観劇だったので、ダンスフォーメーションがバッチリ見られたのが楽しかったですし、とくに1幕ラスト、ベルトコンベアを使った非常にトリッキーなフォーメーションは本当に見事!Everybody Say Yeahの楽曲のテンションも相俟って、1幕ラストなのにスタオベ待ったなしみたいな最高の気分で幕間に突入するのがいいよね。

千秋楽後も演者側から「この座組でもういちど」みたいなコメントがあったりして、具体的な話が出ているのか、そこまでではないのか、わからないですけど、でも観客のみならず創り手も「もういちど!」と思える作品ってそうそうあるものではないと思うので、それが実現することを密かに祈りたいと思います。

「名探偵ピカチュウ」

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監督はロブ・レターマン。あのポケモン実写化!しかもライアン・レイノルズピカチュウを演じる!って第1報が来た時には「要素多すぎてなるほどわからん」ってなったのと、ポケモンGOは地道に楽しんでいるものの、そもそもの(ゲームボーイを起源とする)ポケモンに全く触れずに育ってきちゃった人生なので、それほど食指を動かされてなかったんですけど、アレですよアレ。全米公開直前に出た、すわ全編リークか!と思わせて冒頭除いて1時間42分延々ピカチュウがダンスしてるだけの動画のアレ。げっ!やばい!かわいい!かわいいし、この宣伝考えた人天才では!?違法なものほど人は掘り起こしたがるという心理を突いたし、いったん拡散されるともうみんなが勝手にバンバンRTしてくれるし。クレバーすぎる。

見終わった後の私の最初の感想「私もライムシティで自分だけのポケモンパートナーと暮らしたい…」。いやーこの映画の楽しさって、まあこれは個人的な感想なので的外れかもしれないけど、あの、パシフィック・リムを最初に見た時の、あの感覚とちょっと近い気がするんですよ。巨大ロボットアニメのロマンを完全に再現したあのオープニングのジプシー・デンジャー出撃シーン。物語の中、存在しない二次元の中、と思っていたものが「もしかして触れられるのでは」っていう質量で目の前に現れるあの感じ。いるんじゃないか、もしかしてポケモンは、この世界のどこかに。そう思わせるあの世界観の質量!これを体験するだけでも見に行った価値がある。

ストーリーラインとしては特にひねらずストレートだし、最後の展開も好きではあるんだけど、若干ちぐはぐだなーという部分も確かにありました。あの研究施設を調べに行ってティムとルーシーが真相を掴んだ様子を察知しながらそのあとのフォローがないし(目的は別だったとしても、彼らを放置するのはまずいのは当然なので、あそこから彼らを助け出しクライマックスに繋げてくれる存在が補強として必要な気がする)、そもそもなぜ「息子を連れてこい」なのかが弱いのは気になりました。やっぱりあそこは「ティムだけがもっているもの」との等価交換じゃないと物語として弱いと思うのよ。

しかしそういったあれこれを補ってあまりあるあの映像の情報量、そしてピカチュウのあらがえないかわいさたるやっていうね。私は吹き替えで見たんだけど、西島さんだなーと存在は認識するもののうまくハマっていてよかった(むしろティムの吹替の竹内涼真くんのほうがきびしい)。それに吹替えの最大の利点は映像に集中できるってところだね…!公開前の予告編で「シワチュウ」って言われてたシワシワ具合も、文字通り濡れ鼠やないかいみたいなシオシオさも、瞳のきゅるるん具合も余すところなく堪能できる。ピカチュウだけじゃなくて、画面上にポケモンたちがたくさん出てくるので、それを追うのも忙しいし。特にピックアップされるコダックバリヤードもめっちゃよかった。コダックかわいいよコダック。そして私は…ドダイトスが好き…(ほんとに大きいものが好きなのね…)でもパートナーにするならガーディがいい…いやでも待てよ…(止まらない妄想)。

ビル・ナイさまが出てるの知らなかったのでむちゃくちゃお得な気持ちになりましたし、渡辺謙さんの黒幕なの?そうじゃないの?どっちが好きなの?な眉間の皺も堪能しました。ヨシダ警部補がブルーをパートナーにしてるってのが何気にいいよね。いやほんと、あのポケモンパートナーとの共存て、文字通りポケモンて多様性の権化みたいな存在だから、そこもライムシティを魅力的に見せている要因なんじゃないかって気がする。

一回限りの禁じ手、みたいな形でもあるので、続編を制作するかどうかは微妙なところかなって気もしますね。でも想定よりも当たっているみたいなのでどうなんだろう。ともあれ、「ポケモン」っていう金脈で一山当てるぜ!という動機ももちろんそりゃあって当たり前なんですが、それよりも「あの世界を実在のものにするんだ」って情熱がその動機を追い越したような映画で、そこに一番感動しました。エンドロールで、これを幼い頃にポケモンのいる世界を夢見ていた当時のキッズが見たらどんな気持ちになるんだろう…!と想像して想像でもらい泣きまでしてしまったことは反省しております(笑)。

「僕たちのラストステージ」

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「ローレル&ハーディ」として知られ一世を風靡したお笑いコンビの晩年を描いた映画。監督はジョン・S・ベアード。ケラさんが試写会でご覧になった後絶賛されていて、タイミングが合えば見たいな~と「見たいリスト」に入れておりました。

しかしこれ、見終わった後でさらに思う、原題の「Stan & Ollie」の素晴らしさ。「僕たちのラストステージ」はこう…いや原題のままというのが難しいのはよくわかるんだけど、結果的にネタバレしちゃってるともいえるしねっていう。どこに行っても、だれと会っても、必ず「ローレル&ハーディ」と呼ばれ称されてきただろうこの2人は、同時に「Stan & Ollie」でもあった、その部分を掬い取る映画に相応しいタイトルですよね。

こうしたお笑いコンビのバックステージもの、というところでつい持ってしまう先入観としては、たぶんステージの上とは違ってコンビ仲がめちゃ悪くて…でもってなんだかんだトラブルがありつつも舞台の上ではこいつしかいない的な…っていうのを考えちゃうんですけど、このふたりはステージの外でもすごく仲が良いんですよね。仲が良いというか、いつも「こんなことをやったら面白いだろう」って考えてて、その言語を共有できるのがお互いしかいない、という感じ。とはいえ、過去にいちど二人が袂を分かった時はあって、そのことは抜けない棘みたいにどこかに刺さってて、でもいつかまたふたりで映画をという夢があり、その資金稼ぎに巡業の旅に出るふたりが、最後までその「この言語を共有できるのはおまえしかない」ってことをお互いに思っていたんだなってことが、映画を見ているとすごくよくわかる。

またよかったのがそれぞれの妻が、こういう時によくある(これも先入観)悪妻というか、若い妻をもらってその彼女は浅はかで浪費家で…みたいな感じじゃなくて、妻同志決して馴れ合っているわけではないんだけど、夫への愛情と才能に対する信頼の揺らがなさが描かれているのがよかった。妻同志もどこか戦友のような佇まいがあって、素敵でした。

オリヴァー・ハーディを演じたジョン・C・ライリー、スタン・ローレルを演じたスティーヴ・クーガン、どちらも最高でした。私はとくにいつも飄々としながらも、文字通りペーソスあふれるとしか言いようのない佇まいを見せるスティーヴ・クーガンの素晴らしさにぐっときまくりました。ステージ袖で舞台に出る一瞬前のあのふたりの表情。ああいう場面にめちゃ弱いわたしだ。

めちゃ弱いと言えば、最後のクレジットに出た一文にぶん殴られてしまい、びえびえ泣いた私です。あれはアカン!あれは泣く!

エンドゲーム、それぞれの決断について

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エンドゲームでMCUを去る(と言われている)面々をはじめ、今作で大きな決断を見せた4人について。メモ書きでおさめておけよと思いつつあふれ出る長文野郎の魂が、じゃなくてキーボードが止まらなかった。妄想とおセンチの成分おおめだよ!あと超マッハでネタバレしているのでまだ見てない人はこの先を見ちゃダメだ絶対。

★ナターシャ・ロマノフの決断について
ナターシャにとってクリントはやっぱり「どうしても死なせたくない人」なわけですよね。それは今までの彼女の描き方からも容易に見てとれる。私はAoUでいきなりクリントに家族がいて、いきなりナターシャとブルースの間にケミストリーが生まれちょるみたいな展開がどれだけ噛んで砕いてお粥にしても飲み込みにくいタイプなんですけど、でもこうなってみると、クリントに家族がいたというのはよかった気がしてくる。変な言い方だけど、その事実がこの場面のピュアネスをより高めているような気さえしてくるんです。家族がいるから、とかじゃなくて、もはやそこは大きな問題ではなくて、ナターシャはクリント・バートンを死なせたくないんですよ。自分をかつて赦し、生きる場所を与えた人と自分を天秤にかけたとき、どちらに傾くかというのは、この作品においては自明の理のように描かれてると思うんですよ。あの毛先だけ残ったプラチナ・ブロンドのように、あそこにいるのはブラック・ウィドウではもはやなく、彼女がそうありたかったナターシャ・ロマノフなんじゃないかなあと思うわけです。もちろん、クリントも同じようにナットを死なせたくないと思っているのは間違いない。でもあそこで運命を分けたのは、いつだって彼女がクリントの一歩先を歩こうとする女性だったからなんじゃないですかね。
生きろ、ということがなによりつらいこともあるけど、彼女はそのつらさも含めてクリントに引き受けてもらいたかったし、それができると思っていたんじゃないでしょうか。そして実際、ソウルストーンはクリントの手にやってくる。愛するものの魂と交換によってやってくる石、その愛に最後まで名前をつけずに走りきったことが、私には何よりもすごいことのように思えました。

★トニー・スタークの決断について
I LOVE 3000.
きっと何度同じことがあっても、同じ決断をするんだろうなと思うんですよ。ってのっけからなんなんだって話ですけど、トニーはずっとおそれていたわけでしょう。自分のせいで、自分以外の人を喪うことを、彼はずっとおそれていた。大いなる力に伴った大いなる責任を果たすことを、こんなにも見つめ続けた人はいないんじゃないかとすら思います。トニーのすごいところは、その「できること」が無限に広がっていくからで、だからこそ理解を得られなかったこともあったり、自分の手からこぼれていくものに苦しんだりしたんだろうと思うけど、でも最後には、まさにかれの知性がほかのすべてのものを救ったわけですよね。
5年の歳月というのは、トニーとモーガンの関係性を描こうと思ったときに必要な年数でもあったんだろうなと推測しますが、でも3000回愛してるって言ってくれたモーガンだから、きっとあのトニーのメッセージをこのあと何度見ても、愛してくれたパパを思い出して、こころを慰めてくれるといいなと思います。
あと、いちどは「ここでやり直してる」と復帰を拒んだトニーが、それでもずっと心に刺さった棘のようにピーターのことを考えていて、それがこの大逆転劇を生み出したのかと思うと、いやいったいいつからその構想を!?って私何度も同じセリフ繰り返し過ぎですか。ですね。でもそう思っちゃうんだもんよ!
ロバート・ダウニー・Jrは文字通り「いつ見ても波瀾万丈」みたいな人だったけど、かれをトニー・スタークに抜擢したことが文字通りすべての始まりで、この映画のラストがアイアンマンに帰結していくことも、エンドロールの最後にあの鉄を打つ音を響かせるのも、この偉大なパイオニアへの愛と敬意だなーと私は思いますし、いつかピリオドを打たなければならないのだとしたら、これは最高のピリオドだったんじゃないかと思っています。

★ソーの決断について
今までどの映画でもこれでもか!とその前向きなパワーと肉体美を見せていたソー兄ちゃんが、すべてを喪ったこと、そしてそれに対する復讐の空しさにガチの引きこもりになる…なんて誰が想像したでしょうか。メモ書きでも書いたけど、ラグナロクのときのソーとハルク、なんだか性格が入れ替わってしまったかのようですらありましたよね。
でも、ずっと前向きのパワーをうしなわずに猛進していたソーももちろん魅力的だったけど、どっちかというとこじらせタイプの私には眩しすぎる存在でもあったのだった。だから、エンドゲームで一敗地に塗れたあとのソーが、文字通り這い上がってあのサノスの前に立つ、思わず「ソー兄ちゃん」と呼びたくなるような、神々しさの代わりに有り余る人間味を見せてくれたソーが仲間と共にサノスに立ち向かう、そこに震えないでいられようかっていうね。あと、クリヘムさんの正真正銘のナイスガイぶりはぽっちゃり程度では減じないどころか倍増しなんだな…ってことも実感しました。かっこいい。我らの兄ちゃんかっこいい。
映画内でのパワーバランス的なことは私はあまり関係ないんじゃないかな?と思ってるんですけど、とはいえガチのお兄ファンの方がどう思ったのかはわからない。でもその心情を私が勝手に斟酌するのもちがうなって話ですもんね。
ソーが流浪の旅に出るのは、文字通り貴種流離譚としてのひとつの段階に過ぎなくて、私はあれほど玉座が相応しいひとはいないと思ってます。ヴァルキリーだってそう思ってるんじゃないのかな!彼がいつか帰ってきて、その後の物語が描かれるかどうかは別にしても。しかし、MCUファンとしてはソーがGotG組に同伴したのが意外過ぎて、えっ、気になる、vol.3で絡んできたりするんですか兄貴ー!と妄想に余念がありません。ある意味罪なエンディングだぜ!

★スティーヴ・ロジャースの決断について
あえてキャップではなくスティーヴの名前にしておりますが、あの終幕、びっくりしましたよね。私はしました(余談だけど血清打ってても老化はあまり変わらないのか…とも思った)。とはいえ、作中でキャップとペギーとの関係をことさらに目くばせしてくるなあとは思っていたので、予想をまったくしていなかったわけではないです。あのコンパス(×2回)、セラピーでのスティーヴの発言、ダメ押しの1970年のペギー(と、もやしの写真)。CAFAでのエピソードや、CAWSでのお見舞いや、CACWでの葬儀だけではじゅうぶんでないと考えたのか、十分ではあるけれどもあの結末にもっていくにはもう一押し、今作で要素をちりばめる必要がある、という判断があったのか。いままでペギーの夫の名前が言明されずにここまできている、ということを今作の展開は突いたのかなーと思いますし、だとするとこれも「一体どこから計算してたのか…!」と思っちゃいますよね。
ドラマのエージェント・カーターで描かれた時系列のことを考えると、石を返し終わって(義務を果たして)、彼はいったいいつの時代に行ったのかとか、それこそ世界の分岐みたいなことを考えると、いや?うん?わかんねえ!となってしまうダメな私(というかへたに分岐したらその分岐した方にサノスはいないの?ってなっちゃう。そういうことじゃないのか?)。でも、なんというか、どの時代に戻ったのか、そこでペギーと終生の愛を誓ったのか、それともダンスの約束を果たして別の人生を歩んだのか、その世界線はどういう世界線なのか…ってことは、かなりの解釈の余地を残してくれているともいえるわけですよね。だとすると私としては、もうここはシンプルに考えたい。なにより彼が、本当はそうなるはずだった、手元からぽっかりと消えた70年を自分の手に取り戻すことが出来たこと。兵士として…もっとキツい言い方をすれば、兵器として生まれ変わったひとりの男が、ひとりの「善良な人間」に戻ることができたんだとすれば、それはすごいことだなと思いますし、「キャプテン・アメリカ」としての終着点はそこになるべくしてなったんだろうなーとも思います。
善良な人間といえば、ポータルから消える前、サムが「一緒に行こうか」って声かけて、きみはいいやつだな、ってスティーヴが返す、あのときgood manって言ってる気がするんだけど、そこでそのあとサムに盾を渡す展開がくるのも胸アツだなと。スティーヴがアースキン博士に言われた言葉を思い出しちゃいますよね。あとバッキーはどう見ても彼がこのポータルに帰ってこないことを知ってるふうでしたよね。CAFAと同じ別れの挨拶…どう見てもロンググッドバイじゃないですか。でさ、私はここが本当にスティーヴらしいなって思うんだけど、彼がなんでここに帰ってきたかって、それは「またここで会おう、必ず」って約束をね、してるからなんじゃないかって思うんですよ。もちろん盾をサムに渡すためでもあるだろうけど、帰ってくると約束したら、必ず帰ってくる男ですよね、スティーヴ・ロジャースは。その取り戻した70年の自分の人生のなかで、彼が「いつかあの場所に帰る」ってことをずっと覚えているっていうのも、これはこれで相当にエモいなって気がしちゃいます。
しかし、こういう特別な宝具(この場合はインフィニティストーン)って、返却するときはなぜかむちゃ省略されるのが古今東西物語の常ですよね。取るのと同じくらい返すのも大変やと思うけどー!そこ見たいー!ってなるやつ!

エンドゲームいろいろメモ

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うすうす気がついてたんだけど、あそこがよかった!ここがすき!みたいなことを書いても書いても終わらないわけですよ。どうしたことだい。以下、だいたい時系列でネタバレしかないメモ書きの連打。長いっす!

  • クリントファミリー、こうなる予感はしていたが目の前でサラサラではなく目を離したすきにサラサラというよりハートに堪える仕様。鬼か。しかも全員。鬼か。
  • さらに宇宙を漂うミラノ号。ファーストトレイラーでこちらのハートを抉りまくったトニーのペッパーへの「伝言」がここで。「うしろめたさ全開で前に進んで」っていうのがいかにもトニーらしい…
  • というかトニーがネビュラとすごくうまくやっていてそこはよかった。あの単純なゲームをするのも、トニーがやろうって誘ったんだろうし、そこでその誘いに乗るネビュラがいたんだなって想像できるのがいい
  • ネビュラの言う「楽しい」はその言葉自体が重いというか、価値があるというか。楽しい、って思えたことが今までの彼女の人生でどれだけあったかなって考えてしまうよね
  • キャプテンマーベルがアベンジャーズ基地に来る場面はキャプテンマーベルのポストクレジットでやっているので、もうここから「キャプテンマーベル履修済みじゃないとついてけない」仕様。彼女が誰かの説明もない。マジで「振り落とされんなよ!」
  • アベンジャーズ基地でのトニーとスティーヴの会話。「止められなかった」「僕もだ」「坊やを喪った」「トニー、それだけじゃない」。そのあとのトニーはじゃあペッパーも…という最悪の事態を考えた顔をしてるよね
  • 全員が負けたことに傷ついて、負けたことに苛立っている、あの場面の会話いろいろキツいわあ…。トニーが一緒に負けるといったのに君はいなかったとなじるのもキツい。
  • キャロルにとってフューリーはちゃんと同志だったんだなと思える表情イイ
  • キャプテン・マーベルの能力が所謂「桁違い」すぎて、エンドゲームにおいてどういうパワーバランスをとるのかちょっと心配してたけど、ここからの展開唸りましたよね。唸りました。
  • 紫芋ゴリラ絶対殺すマンになったキャロル、サノスの常日頃の言動を知るネビュラ、石の波動から居所を突き止めるロケット、トニー以外の生き残り組がサノスを追い、石の在処をつきとめようとする
  • が!農園で隠居生活(マジで農村暮らしやってんのかテメエ)中のサノスはもはやボロボロ、石は破壊したという。全員の「絶対許さん」オーラがどれだけ満ち溢れ、どれだけパワーがあっても、そして実際サノスの首を落とすことに成功しても、そこには空しさしかない
  • キャロルというチートキャラを使い、いったん復讐を成さしめる(が、それには何の意味もない)ところをスタート地点にする、このうまさ!
  • そして「5」「years」「after」の無情さ…(5年後、とすぐに出ちゃう日本語字幕はそういう意味ではちと惜しい)
  • 回線を繋いでロケットやキャロルたちと連絡を取り合うナターシャ。彼女の伸ばした髪、毛先だけプラチナブロンドで、地毛の赤毛が伸びてる。ぜんぜん手入れをしていない、ってことなんだろうなあ。5年つったらもっと伸びるとは思うけどさ!
  • あのナターシャが、相手次第で真実なんて変わる、と言ってたナターシャが、もはや身をやつすこともしない、もう素の、ありのままの彼女しか残ってないと思わせるスタイルよね
  • クリントのことを聞いて心を痛め、ひとりになって泣き崩れそうになるところに現れるキャップ。この瞬間のスカヨハちゃんの演技大好き!一瞬でいつものシニカルな笑顔に立て直そうとするところ。ぐっときます。このふたりの軽口の叩き合いもいいよね。「洗濯しにきたの?」「友達を励ましに」「物事の明るい面を見ろとかいうつもりならこのサンドイッチぶつけるわよ」「自分の人生を生きてみるのもいいのかも」「お先にどうぞ」
  • アントマン&ワスプで量子世界に取り残されたスコットおじさん、どうするのかなと思ったらまさかの…まさかのネズミが…ネズミーだけに…(いやマジで…)
  • キャシーちゃん無事でよかった、誰かも言ってたけどルイス(マイケル・ペーニャ)たちがどうだったのかわかんないのよね
  • キャシーが無事だったんだから、スコットはその時点で現実を受け入れることもできたと思うけど、自分の考えた万々が一の可能性にかけて、あの茶色いバンでサンフランシスコからアベンジャーズ基地まできたわけでしょ。ホントにヒーローですよ
  • 引退して郊外に引っ込んでペッパーとむすめちゃんと(モーガンちゃん激カワ)良きパパをしているトニー。歳月…
  • 「やりなおすチャンスなんだ」「今ここでやり直してる」「こわいのよ」「無理もない」、キャップは人の意思を尊重するひとだなーと思うと同時に、「やめるの?」「まさか。絶対やる」、他の人がどうあれ自分がやると決めたらやる、そこはほんと変わらないよね
  • スコットはやはりピム博士の直系の弟子だけに、トニーに対してわりと歯に衣着せぬ感じに思えた(この場面だけじゃなくて)のがおもしろかった
  • インフィニティウォーでとうとうバナー博士の中から出てこなくなったハルク、エンドゲームでどうするのかと思っていたらまさかの融合スタイルでキタコレ。いやかなりビックリしたよここ!
  • 普通に考えてハルクの力にバナー博士の頭脳て…文字通りチートなのでは…
  • 最初のタイム泥棒テストのときもバナー博士つーかハルクが常に前向き思考で、生まれ持っての性格なんてものはないのかもしれんな…という気付きを得た
  • トニーがキャップに盾を渡す、というのはもう「ネタバレなんぞ見ないでもそりゃそうだろうよという場面」なんですけど、すごくあっさり見せたね!「怒りは心を腐らせる」「同感だ」で終わりだった。よかったような拍子抜けしたような。いや、あれだけの「大事」の前に手を組むと決めたのだから、そういうもんなのかもしれないなー
  • まあその前から「気まずさ」が最大の壁みたいなところに落ち着きつつはあったもんな。社長はあの携帯ずっと持ってたわけだし
  • 「みんなには内緒だぞ、全員分はない」まさにトニー節
  • ミラノ号とローディにタコスを台無しにされるスコット、個人的にめっちゃ好きな場面です。きゃわたん
  • ロケットとハルクがニューアスガルドにソーを迎えにいく場面。私初日の3回目の上映くらいかな?で見ましたけど、ソーのスタイルに思わずどよめきがおこりましたね
  • 常に前向きのエネルギーを喪わなかったソーと、前向きのエネルギーなんて僕の人生でどうやって持てばいいんだ?みたいなテイだったバナー博士と、ここで完全にスタンスが入れ替わっているのがおもしろい
  • 「サノス」の名前を聞いてソーの表情すべてが一瞬で消しゴムをかけたように消えるところよかった
  • でさー!ロケットが「船にビールあるぞ」って言うじゃん!あそこさすが百戦錬磨だと思いませんでしたか!正面切って「行く」と言えない人間に口実を与えてあげるロケットの度量!
  • ホークアイを連れてくるのはもちろんナターシャ。舞台は東京ってことになってるんだけど、いやーいつまでこのイメージなんでしょうねトウキョウって。アッハッハ(笑いごとじゃない)
  • しかし今こそすべての日本人は(チコちゃんかよ)真田広之さんに感謝せねばならないよ…。とんでもジャパンで終わるところを真田さんが救ってくれたといっても過言ではないよ。どこからどう見てもカッコイイ殺陣、さすがでございます。日本刀は!こう持つ!
  • しかしジェレミーに日本語喋らせる必要はなかったと思うでワイは
  • タトゥーがゴリッゴリに入ったスタイルのホークアイ、ちょう好み
  • タイムパラドックスの話をするところ、ここのローディめっちゃ好き。よくもまああんなにポコポコタイムパラドックス系の映画タイトルが出てくるね!
  • しかしここでネビュラとハルクが言っている内容をちゃんと理解したのかと言われると甚だ自信のない私であった(なんとなく…雰囲気は…)
  • 6つの石を全員で一気に取りに行く、この作戦会議の様子よかったなー。キャップが作戦を立案したんでしょうか。人選はどうやって決めたんでしょうか。
  • ここに至るまで、アクションシーンらしいシーンもそれほどないまま、ずっとひとつのストーリーラインを集中して語っていくっていうのがね、ほんとすごい。肚が据わってるなと思います
  • 2012年のニューヨークはほんと、サービスシーンの連打すぎましたね。あの無印アベンジャーズの象徴ともいうべき勢揃いでの回り込みカメラをまさか再び映画館でっていう
  • そしてロキがびったんびったんされた「あと」を見せてくれるっていうね!「杖は?」「ストライクチームが取りに来る」シットウェル!ラムロウ!お久しぶりです!
  • 「あいつら誰?」「シールドだ。実はヒドラだった。この時は知らなかったが」「なんで?どう見ても悪人面じゃん!」スコット容赦ない
  • そしてスコットの名セリフ「アメリカのケツって感じ!」が飛び出すのであった
  • ここで気をつけろ、洗脳されるぞ…とか軽口を叩きながらみんなが談笑してるの、ほんと夢のサービスシーンのようだったね…
  • ロキがキャップの真似して「お堅いね、ヘドが出る」っていうのよかった、ダークワールド思い出してニヨニヨしちゃうやつ
  • でもって杖を持ったストライクチームがエレベーターの中でピアースに連絡して…ってこの構図…と思ってたら!ら!まさかの!エレベーターファイトの再現!?みたいなシチュエーション!ピャーーーーーって細い息が私の喉からもれましたよ…マジか…
  • でもってどう切り抜けるのかと思ったら「ヘイル、ハイドラ」くっはーーーーーーまじかーーーーありがとうございますーーーーっていうかキャップがここまで清濁併せ呑むの最高なのではーーー
  • もうここだけで「神よじゅうぶんでございます…」な心境だったのに、その先で待ってるのが本物のキャップっていう!いやどっちも本物だけども!
  • しかも「君を傷つけたくない」ハイCAWSの名場面再現ありがとう
  • 2012年のキャップに「まだやれるぞ(決めセリフ)」言われた時のスティーヴのあの「だろうね!」っていう、己のまっすぐさに対する気恥ずかしさと少々うんざり、みたいな顔、マジで最高でしたね
  • 締め技で落としにかかるキャップに「バッキーは生きてる」ってあーた、自分が何に動揺するかよくご存じ、御本人だけに
  • アメリカのケツか…って去っていくときのくりえばさんの表情もめっちゃいい~~
  • このわずかなシーンのために、俳優業を引退したレッドフォードが出てくれるなんて…マジですごいなMCU。いやレッドフォードだけじゃなくてこの先そんな人がばんばん出てくるんだけども
  • スペースストーンをもって逃げちゃったロキさんのいる時間軸は結局あのままなのかな。でもアスガルドに持って帰ってれば一緒なのか(ドラマに繋がったりするのかな)(だとしたらどこまで用意周到なんだよぉ)
  • エンシェント・ワンの説得に(ストレンジがいると思ってたぽいけど)バナー博士が当たったのはナイス人選。いやしかし、あのNY決戦の時実はあの人が、みたいなネタが矢継ぎ早にやってくるので息も絶え絶えになる
  • 息も絶え絶えといえばアスガルドのソー兄ちゃん。ロキが一瞬でてきたときの、客席のふわっと空気が軽くなるような感じ、まさにアベンジャーズ随一のトリックスターだよね
  • ロケットはここでもめっちゃ仕事してた…「俺は家族をなくしたんだよ」。
  • ソーがふたたびムジョルニアを手にして「俺はやれる!」からのGotGオープニングにつなげる流れ、あの曲だけで観客の心が「待ってました!」になる感じ、うまいよなあ
  • しかし、いかなクリス・プラットとはいえ、ウォークマンを聴きながら全力で歌ってる人をはたから見たらどう見えるのかということを容赦なく突きつけるMCUなのであった…(笑)
  • オーブを取りに行くときのローディがまた映画ネタ出してておかしい。ネビュラとローディもいいコンビだったなあ
  • そしてここでようやくストーリーラインがネビュラを介して2本に分かれる!時間にして1時間くらい?1時間半くらい?いやマジですごいな
  • 私は前作から紫芋ゴリラ絶許の姿勢を堅持しているので、ここでサノスに知られるというのはマジで肝が冷えたし、やっぱりお前なんかい!と思ったし、今度こそタマ獲ったるとも思いました(忙しいやつだね)
  • ヴォーミアに行くのをナターシャとクリントにしたのはなんでなん!え?考えて!二人行って一人しか還ってこなかったとこまでは前情報あるじゃん!その前情報活かそ?
  • なんてことを言いつつも、わたしゃ心のどこかでは納得しとるんです。まあそれは再三言ってるけど、私が「物語の中の死」についてメンタル鋼だからかもしれない。ナットの決断については別項で
  • 「僕を信じるか」「ああ」で1970年のニュージャージーに飛んだふたり。CAWSでお馴染みのあの秘密の入り口ふたたび
  • ピム博士とハワードがシールドにいて喧嘩別れしたのはアントマンの冒頭でもやってたけど、まさかここで、しかもピム粒子の補充という発想からこの時代に飛んでくるとはっていうね!ほんとどこまで計算してたのよ。おそろしいわ。
  • そしてここで一瞬出てくる若き日のピム博士…もちろん演じているのはマイケル・ダグラス…贅沢か!CGでの若返りすごいね。あとキャップ普通に嘘がうまくなってる(笑)
  • トニーは父と会って「叶うことのなかった父との対話」を果たし、キャップはペギーの姿に「あったかもしれない過去」を思うわけだけど、ここに辿り着くまでの流れが見事すぎて唸るわ
  • ドラマ版のジャーヴィス登場うれぴかったな~
  • そしてポータルから還ってくるみんな。ナターシャを除いて。あの「じゃあ1分後に」のあとこうなるとは…。予告で出ていたキャップの涙はこのシーンだったんだな
  • トニーがガントレットを作ってるとき、バナー博士(つーかハルク)がサポートして、ロケットがじーっと見てて、「わっ!」っておどかすとこ、めっちゃ好き。トニーとロケットは気が合いそうよな~
  • でもってここでまた唸るのがさ、あの指パッチンをundo、取り消すための指パッチンを誰がやるのか?っていう。これ、ハルクというのは順当な選択ですけど、これができるのもハルクとバナー博士が融合しているからじゃないですか。そしてここでその威力を見せることが最後の展開にも繋がるわけじゃないですか。本当にストーリーの流れに無駄がない
  • スコットが外の光景で気がつき、クリントが妻からの電話に答えたその瞬間にどーん!!!とうとうラスボスがやってくるっていう
  • ここからはもう一気呵成なんだけど、いきなり大バトル!ってんじゃなくて、きわめて静かにBIG3と「座して待つ」サノスとの対戦になってゆくとこがよい
  • MCUはずっと「悪役のインパクトが弱い」ということを指摘されていたところがあるけど、それもこれもここに辿り着くためだったかと思うと納得だし、マジでこの時のサノスが一分の隙もなくぶっ倒したい悪役そのもので、しかもむちゃんこ強くて、その強さを誰よりも観客が実感したあとっていう、すべての道はここに通じてたのか、って思う
  • キャップがムジョルニアを持ち上げるシーン、ほんとみんながソーと一緒に「I knew it!」って叫びたい場面だよね。あとムニョとシールドのコンボ技、相当容赦なくて笑った
  • ソー兄ちゃんは多少ぽっちゃりになったとしてもかっこよさが減じないのがすごいぜ…
  • シールドを割られたキャップ(いつかのトニーの悪夢を思い出すじゃん)、あの荒野でひとりサノスと向かい合っているあの構図、よかった。美しかったな
  • そして救いの手は左から差し伸べられる(CAWS好きな人泣くとこ!)
  • アベンジャーズ!アッセンブル(号泣)
  • アッセンブルをいつ言わすのか、今か今かと言われていて、インフィニティウォーでもその言葉は出なくて、だからもうみんなここしかないと思ってたし、この瞬間を待っていたわけですよね。本当になんて長い時間をかけて最高の場面に辿り着いたことか!
  • トニーとピーターのハグ、ほんとよかった、ピーターがめっちゃ早口で宇宙行ったの覚えてる?ぼく気を失って、そしたらDrストレンジが5年経った、出番だぞってピカピカ光るオレンジの…って話して、ただかれの顔を見つめてるトニー、ほんと…よがっだよおおおお
  • スコット、めっちゃ大活躍だったね。ジャイアントマンになってみんなを助けたのもアガったけど、ガントレットを遠くへ、ポータルならまだある!からのあの茶色いバンのアンサーバックを鳴らすところ!むちゃくちゃ好き。あの時大笑いしたあの音が、今は勝利のファンファーレに聞こえる
  • 「誰か茶色の醜いバンを見たか!」キャップ容赦ない
  • ガントレットリレー、クリントと陛下が会話するのもね!シビルウォーを思い出すとテンションあがるとこ。スパイディの助けて!にキャップが「今行くぞクイーンズ坊や」っていうのも、シビルウォー思い出してテンションあがるとこ!
  • たぶんこの面々の中でもっとも「紫芋ゴリラ絶許」モードの強いワンダがガチでサノス追い詰めてたよね。わかる。わかるぞ。もうそのままサノスを引き裂いちゃってもいいぞ(過激派)
  • あのクソでかい母船どうにかせえ!と思ってたらそうでした、あなたがいましたキャプテン・マーベル!ロケットじゃなくても快哉をあげるとこですよ
  • ポータルにガントレットを運ぼうとするところ、あのガールズアッセンブル。ふたつの意味で涙が出た。かっこよさと、そしてここにナターシャがいないことがくやしくて。ほんとうに、かっこいい、みんなめちゃくちゃかっこよかった。ずっと最高にかっこよかったナターシャにもここにいてほしかったなあ
  • ガントレットからわざわざパワーストーンを取り外してキャロルをぶっ飛ばしたサノス。「私は絶対なのだ」、でもスナップしても世界は変わらない
  • あのガントレットはトニーが作ったものだから、ガントレットから石を切り離せる機能もちゃんとあったってことなんだな。それを別のガントレットに移植する手段も。アイアンマンがナノテクのアーマーを使っていることすら、ここにきて意味がありまくるのが本当にすごいよ
  • 「私はアイアンマンだ」
  • この台詞から始まったこのアベンジャーズの物語が、この台詞に還ってくる。もう、鳥肌が立ちましたよ。すごすぎる。私が今まで見たことのないようなスケールで描かれるこの物語が描く弧の美しさたるや
  • サノスが塵となったとき、思わず大きく息を吐いた。最後にはどちらが勝つかわかってるもんね、みたいな気持ちじゃなくて、きっとどこかで心の底からおそれる気持ちが自分の中にあったんだなと思う。そういう意味では、最後は物語を見ているというよりも、その中で体験しているといったほうが近い心情になってたんだなー
  • 「トニー・スタークにもハートがある」。アイアンマン1でペッパーが贈ってくれたアークリアクター
  • 見送る面々の中にハーレイくんがいたの、ちゃんと気がついたよ
  • あと私、一番泣いたのハッピーとモーガンの会話なんです実は。チーズバーガー、お父さんの大好物だよ。好きなだけ食べて…。これがアイアンマン1の生みの親、ジョン・ファブローが言うから倍掛けで泣けちゃう
  • ソー兄ちゃんとキャップのラストシーンについては別項で!

むちゃくちゃ長いけど、これでも相当駆け足だし、あとであっあれもあった、これも!あそこも!ってなるの目に見えてる。いやはや、これだけの大作でここまでちゃんと広げた風呂敷を、しかも、相当広げた風呂敷をきっちり畳み切るのすごい。尊敬の念しかない。そしてそれを同時代で一緒に体験できたことへの幸福感がすごい。いやもう本当に、おつかれさまでした!

「LIFE LIFE LIFE」

段田安則大竹しのぶ稲垣吾郎ともさかりえの4人が揃ってケラさんの演出で「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない?」の再演…の予定だったのですが、諸々の事情により演目変更。キャストはそのままなので4人芝居で、しかも4人の見せ場が拮抗してて…となるとなかなか無理ゲーなような気がしてきますが、白羽の矢が立ったのがヤスミナ・レザの本作。

舞台は同じ場面を3度なぞる。若い夫婦には子どもがひとりいる。夫は長年かけた研究論文と同じ内容が誰かに先を越されてしまったのではないかと気が気ではない。夫よりも高い地位にあり、夫の論文を推挙できる立場にいる男とその妻が、彼らの家にディナーに招かれるが、来るのは明日の筈だった…。

同じ模様を描いていたつもりでもなぞるたびにずれてゆくように、少しずつ違う側面を見せていく4人の関係性が面白かったですし、同じようでありながらも同じようでない、という4人の登場人物の「ズラし」がまさに芝居巧者の味わいで、堪能させていただきました。個人的に面白いなと思ったのは、それぞれの関係性がいちばん崩壊しかかっているのが3幕目と思われるのに、表面上はもっとも美しく終わる…というのがすごいな、と。

いつ、どんな場面でも自分がバトンを持つ、となったらあっという間に客の視線を惹きつける大竹しのぶさんもすごいが、3パターンとも大きく人物像を変えるようなそぶりもなく、でも確実に描いている線はさっきの場面と違っている…という段田さんの匠の技、さすがすぎます。吾郎ちゃんは逆にはっきりと違う線を描く、という意思が見える役作りなんだけど、同じトーンでもメンタル豆腐とメンタル鋼とそれぞれのタイプに説得力があるのがよかった。ともさかさんはケラさん演出の舞台が一番輝いてるんじゃないかなーと観る度思う。

ヴァージニア・ウルフの時と同様、センターステージで、しかも舞台が回転する仕様。見えない、ことをストレスじゃなく刺激として見せられるのはさすがケラさんという感じ。そしてこれ、ケラさんが翻訳作品の演出をするたびに言ってる気がしますが、ケラさんが演出するとあの翻訳ものを見ているときの独特の「翻訳ものの台詞を喋ってますよ、今」という違和感がまったくない。フィンガーチョコをめぐるやりとりの絶妙な面白さ、登場人物の会話の中にある見えないサブテキストの味わい、いやーほんと、演出家で左右されちゃうところだよねえ。「ヴァージニア・ウルフ」を再見できなかったのは残念ですが、短い上演時間で濃密な会話劇、たいへんおいしくいただきました。

「アベンジャーズ/エンドゲーム」

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4月26日、公開初日に観ました。やっぱりエキスポIMAXで最後を迎えたいと思って指定席争奪戦に挑んだんですけど、これまででもっとも熾烈を極めたような気がします。いつものお気に入りの席(がある、いちおう)ではないけれど、割と見やすい席で取れたのでまあまあ結果オーライ。インフィニティウォーのときにも徹底したネタバレ防衛ラインを組んだので、今回も1か月前に情報系アカウントと特定の単語をミュートし、1週間前あたりからちょっとでも話題に出しそうなアカウントをミュートし、最終的に私のTLがすっかすかになりました。

私はインフィニティウォーを見終わったとき、なんてすごい、なんてよくできてるんだと感嘆し、あそこで残った顔ぶれがいわゆる「オリジナル6」を中心としたものであることに興奮したんですが(彼らから始まった物語がまた彼らに還っていく、私の好きすぎる構図)、同時にこれをどう畳むのか?というところがエンドゲームを見る前の一番の気がかりでした。サノスの指パッチンで消えてしまったひとがそのままということはない(現実的な見方ですが、続編が控えているひとが沢山消えている)、だとすると時間を巻き戻すなり別のアースが出てくるなり、何らかの大きな仕掛けがエンドゲームでは用意され、生き残った面々がそれに絡んでくることは誰にでも予想がついたと思うし、へたすれば大味な解決になって、大味な展開ゆえにメンバーの何人かが大味な死を迎える…とかいうふうになったらいやだなあ、という気持ちが少なからずありました。

しかし、アベンジャーズ/エンドゲームはそれらの心配をことごとく粉砕し、文字通り「予想を裏切り、期待に応える」作品でした。インフィニティウォーと2部作のバランスとしても完ぺきですが、さらにすごいのは過去のMCU作品すべての要素がきちんととりこまれ、それぞれの単体作品を見ているときには多少の違和感さえあった展開もすべて意味のあるもののように思えてくるところです。いったい、あれだけの作品(ただ見るだけでも気の遠くなるような数です、なんせ本作を含めて22作品)を、どうやってコントロールしここに至ったのか?もはや神の所業を見ている思いがします。

映画が始まって最初の30分は、なにをどう掴んでいいかよくわかりませんでした。だってこれだけの大作映画で、冒頭にアクションらしいアクションもほとんどなく、いわば「敗戦処理」の様子だけを見せるのってそうそうなくないですか。もちろん、インフィニティウォーで描ききった壮絶な戦いがあってこそですが、これまではそれはそれとして、単体で見てもある程度楽しめる作品であるという建前があったけれど、この最終作に至ってそれを完全に放棄している。その腹の括り方もすごい。

しかし、キーマンになるだろうと予想されていたスコット・ラング、アントマンが量子世界からの帰還を果たし、「セカンドチャンス」の芽が出てくるところ、そして生き残ったアベンジャーズたちが集まり、「再び石を手にする」ための作戦を立て、それを実行する、といういわば作品の「承」にあたるところから、過去作品への目くばせがふんだんにとりこまれた展開、サービスシーンとでもいうようショットの数々で楽しませ、いよいよあの指パッチンを「取り消す」に至る、しかしその時!という流れがあまりにもスムーズで、インフィニティウォーであれだけ登場人物を分散させたのとは逆に、一本の物語に収れんさせていく、しかも繰り返しますが、前作の要素だけでなく、過去21作品すべての物語を一本に収れんさせていくというこの力業!上映時間は3時間超と相当な長尺ですが、3回見て3回とも「えっもうそんなに時間経った?」という気持ちになりました。なんつーストーリーテリングのうまさ。

最後の対サノス戦は文字通り総力戦なんだけれど、そのバトルシーンの構成もほんとうにうまい。まず生き残ったBIG3にガチでサノスに当たらせ、キャップがムジョルニアを掲げて我々のテンションをストップ高にさせただけでなく(これを待っていたファンがどれだけいたことか)、あの象徴ともいうべき盾が割られるというあの絶望的な構図、そこにあの「左を見ろ」、ポータルから「彼ら」が戻ってくるというこの展開!そして11年かけてようやく口にされるキャップの「アベンジャーズ!アッセンブル」。いやもう、この瞬間のためにずっと見てきたんだなと思いましたし、万感胸に迫るどころじゃありませんでした。

今回、オリジナル6以上にキーマンとなったのがスコットとネビュラだと私は思うんですけど、スコットはまずこの大逆転の契機になったひとだし、ネビュラは今回のトリックスターというか、機械に改造されたという設定を活かし2019年の彼女が2014年の彼女にシンクロすることで、過去のネビュラと未来のネビュラが別の作用を引き起こすという。いやもうこのあたり、GotGの2作品作る時どこまでこれ考えてたん?ってなるやつですよね。

それぞれのキャラクターについてのあれこれは個別のメモ書きに託すとして(そりゃそうでしょ、こんなんで終わるわけない)、例えばあの「ポータルは壊された」「いやまだある」でスコットがあの車のアンサーバックを鳴らすところ、あれはアントマンを見ていなきゃわからないわけですよ。2012年のニューヨークで、ロキを連行するシールドの面々にピアースがいること、あのエレベーターのシーンはウィンターソルジャーを見ていなければわからないわけですよ。そういったすべての要素、すべてのファンへの合図をもれなく受け取れることの喜び、これはここまでこのシリーズに付き合ってきたファンへのまさにご褒美だといってよく、なのにそれが単なる内輪受けではなくてカタルシスのあるシーンにちゃんと繋がっているというのが本当にすごい。こんなにも、全部みてきてよかったとおもえた瞬間はなかったです。

しかしルッソ兄弟は本当にアクションシーンでの見せ方が最高ですよね。インフィニティウォーでのストレンジ先生をはじめワスプやキャプテンマーベルも、「アガる絵面」を見せるのがほんとうにうまい。このエンドゲームでMCUからは離れるそうですが、私はルッソ兄弟MCUデビュー作であるキャプテンアメリカ/ウィンターソルジャーが本当に好きで、今でもMCUの最高傑作だと思っていますけど、あの1本がなかったらこんなに熱心にシリーズを追えていなかったかもしれません。その単体作品での功績が認められて、この「アベンジャーズ」の終幕を飾る2作品の監督として抜擢され、これ以上ないほどに…本当に、これ以上ないほどに見事に結実させた結果を見ることが出来て、ひとりのファンとしても心の底から嬉しいです。

そしてこの作品のエンドロール、とりわけ、オリジナル6に贈る特別なエンドロールは本当に涙が出ました。ここにいる全員が、これだけの成功が約束される前から、海のものとも山のものとも当時はわからなかったシリーズに賭けて、長期間の契約をして、この長きにわたって肉体と精神を維持してこの仕事にあたってくれたこと、そのことへの多大なる餞、すばらしいカーテンコールでした。

いつもは必ずあるポストクレジットシーンがないこと、エンドロールの最後に、すべての発端となったアイアンマンのマーク1を作る時のような鉄を打つ音が響いて、文字通りの終幕。終わってしまったなー、としばらくは席を立てず、茫然としました。初日の3回目の上映でしたが、客席からは拍手が沸き起こりました。

私はロードオブザリングにもすっかり足を取られて、それこそ海外鑑賞だって行ったしロケ地巡りも行ったし、いわゆる「沼」にハマっていましたが(同じ映画を映画館で見た回数は、多分生涯FotRを超すものはないと思う)、MCUのすごいところは、これだけ手を変え品を変えて、コンスタントに「次も見たい」と思わせる作品を提供し続けてくれたことじゃないでしょうか。少なくとも、この持続と情熱がなければ、私はこんなふうに「映画館に行く日常」を継続できなかったんじゃないかと思います。もちろん、MCUはこれからも続きますが、ひとまずはここでひとつのピリオドです。楽しかった。リアルタイムでずっと追いかけ続けることができて幸福でした。残ったひとにも、去っていくひとにも、しばしさようなら。また、いつか、宇宙のどこかで。