「ブック・オブ・ダスト」ナショナル・シアター・ライブ


こちらも2023年に公開されたナショナルシアターライヴの作品。「ベスト・オブ・エネミーズ」を見に行こうと思って上映スケジュールを見ていたら、この「ブック・オブ・ダスト」ってやつ気になってたんだよな~!ちょうど行ける~!とこちらも勢いでチケットとったやつ。年始の映画がナショナルシアターライヴ2本で始まってしまったわけですけど、あまりにも良すぎて勢いで見に来た俺に感謝…!ってなりました。めちゃくちゃよかった。

原作はフィリップ・プルマンの「ライラの冒険」の前日譚となる作品。恥ずかしながらファンタジー作品不得手ゆえに前日譚どころかライラの冒険も通っていないわたくしです。いやしかし、原作を知っていなくてもここまで楽しませるのさすがすぎんか。ストーリーテリングとして優れた作品であることはもちろん、その世界観が本当に魅力的。今の現実世界と似ているけれども違う世界、人間には分身である「ダイモン」という動物が傍らにあり、真理計、素粒子ダストの研究、宗教的見解に反する者の密告を唆す聖アレクサンダー同盟…と、いかにもファンタジーな要素が並ぶけれど、でも現実世界と地続きでもあるという世界観を観客に飲み込ますのがむちゃくちゃうまい。ダイモンをパペットで見せるのすげえよかった…つーかわたしもダイモンが傍らにいてくれる世界にいきたい。わたしのダイモンなんだろな(ってことをつい考えちゃうよね!)

マルコム・ポルステッドとアリスが、犬猿の仲という感じなのに、ライラという赤ん坊を助けてしかるべき場所に送り届けるまで、お互いがお互いの信頼を勝ち得ていく様子がすばらしい。ボネヴィルを殺してしまったことに二人が思わず泣くところぐっときたし、その後の展開にも結構驚かされた。児童書ではさ、こういう場合「それでも殺してはならない」が貫かれそうじゃない?そこを「むこうはやりたいだけやって、こっちは耐えていくしかないのか?」って葛藤を超えてっちゃうのある意味衝撃だった。

舞台化するにはハードルしかない、という展開がてんこもりだけど、大洪水もふくめてきわめてすぐれた舞台美術と映像、演出であらゆる場面を表現してて、舞台の可能性ここにありって感じだったなあ。私は中でも、マルコムたちがジョージ・ボートライトに助けられ、彼らのコミュニティと一晩を明かそうとするところ、ジョージが水の世界について語る場面…実際に劇場にいたわけでもないのに、あの場面で本当に目に見えないもの、ジョージが私たちにかたる水辺の世界が目の前に広がっているような感覚になって胸がいっぱいになってしまった。あれこそ劇場の、演劇の魔法だったなあと思う。

ライラ役の赤ちゃん、マジでどういう演技力!?ってなる瞬間あってすごかったよね。ダイモンが子供のうちは姿が定まらないって設定も面白かったな~。ほんと原作を読みたくさせる作品だったし、それだけ魅力のある舞台だったなと思います。観に行けてよかった!

「ベスト・オブ・エネミーズ」ナショナル・シアター・ライヴ


2023年に公開されたナショナルシアターライヴの作品で、好きそうなやつ~見たいな~と思っていたんですが、何しろナショナルシアターライヴ公開日程短すぎて合わないときは本当に合わない!ということで見送っていたんですけど、10周年記念のアンコール上映が年末年始にかけて行われ、タイミングがばっちり合ったので念願かなっての鑑賞となりました。

1968年、ベトナム戦争への抗議運動が高まる中で、来たる大統領選に向けた党派活動が盛り上がる中、NBCCBSに視聴者数で後塵を拝するabcは、政治信条の異なる2者を生番組で討論させることを思いつく。白羽の矢が立ったのは、保守派のウィリアム・F・バックリーJrと、リベラル派ゴア・ヴィダル。口から生まれた口八丁どころか口十六丁ぐらいある2人が、大きな政府の問題、ベトナム戦争、家族…と「アメリカ」を取り巻く物事に対して舌戦を繰り広げるが、しかしそれはだんだんと、ディベートとは形の違う何か、「ショーとしての討論」に姿を変えていくのだった。

1968年といえば、アーロン・ソーキンが監督した「シカゴ7裁判」の、あの暴動のあったシカゴ民主党大会があった年で、この作品でもクライマックスはそのシカゴ党大会での出来事が語られる(途中The Whole World is Watching!のシュプレヒコールも出てくる)ので、なんとなく時代背景的なものを感じ取りながら観られたなと思います。基本的に主演ふたりの丁々発止の議論で構成されているので、ソーキンの作品を見るときもそうなんだけど、これたぶん字幕けっこう追いついてないんだろうなー!というところもあり、吹替で見たらまた違う印象になりそう!と思うなど。

ゴッリゴリの保守派であるバックリーJrを黒人であるデヴィッド・ヘアウッドが演じ、バイセクシュアルを公表していたゴア・ヴィダルをゲイであることを公表しているザカリー・クイントが演じており、これはかなり考えられたキャスティングだな~と唸りました。仮にこれ逆のキャスティングだとすると、たぶん受ける印象が全然違ったものになったんじゃないかな。

実際に行われた2人の討論番組の映像をもとに書かれた脚本だそうですが、ヴィダルがバックリーを激昂させ、「言ってはいけない一言」を言わせて勝者になったかのように見えるけれど、そこで一気に「今」の視点からの場面に展開していくのがすばらしい。あの短く激しい、お互いの急所をいかに突くかに汲々とした「番組」を俯瞰の位置から振り返る。こうして政治的議論をお茶の間に届けたことは果たして何を生んだのか?何が正しいか、誰が正しいかではなく「どう見えるか」が民衆の支持を分ける、それはいったいいつから始まったのか?年老いたふたりのその後を語りつつ、最後には静かにお互いの話を聴くバックリーとヴィダル、そしてabcのアンカーが、この問題を「わたしたち」に投げかけて終わる。いやーーしびれましたね。最後で一気にこれが演劇である意味、演劇ならではの醍醐味を味わわせてくれたなと。

舞台セットもすばらしく、コンパクトでありながらテレビというものを象徴的に見せていてよかった。堪能させていただきました!

「RRR × TAKA"R"AZUKA ~√Bheem~」「VIOLETOPIA」宝塚星組

  • 宝塚大劇場 2階5列84番
  • 脚本・演出 谷貴矢/作・演出 指田珠子

大ヒット映画を早くも宝塚が「それウチにやらせてください!」と手を挙げ、日本公開からほぼ1年で宝塚での上演が決まるというスピード感すごい。大劇場での日程がお正月だったので、これは観たいな~と思いつつ、ありとあらゆる先行にフラれ諦めておりましたが、お友達から御縁をいただき観に行くことができました!ありがてえ。ありがてえ。

長大かつ壮大な映画のストーリーをビームを主軸にうまいことまとめており、宝塚ならではのお約束を入れ込みつつも原作の大事なエッセンスは極力活かす、という作劇だったなーと思います。いちばん感心したのは、インド映画における場面のイメージを歌とダンスで繋げてより印象深いものにするという手法がめちゃくちゃ宝塚と相性がいいこと。映画においては「そうはならんやろ」「なっとるやろがい!」といわんばかりの想像の斜め上をいくショットの連打に酔いましたが、そういう押し出しは難しいかわりに「ドスティ」や「コムラム・ビーム」などの歌の場面は実に良く仕上がっていて、役者の魅力を前面に押し出すという意味でも宝塚との親和性が高いんだな~と。RRRのヒットを受けてすぐさま舞台化に動いたプロデューサーは慧眼ですね。

一方で、RRRは植民地支配からの独立を描く作品で、かつ体制側にレイシズムの色がはっきりと描かれているわけだけど、こうした題材との相性はちょっと疑問符だなと思うところもありました。例えば歌舞伎においても、男性が女性を演じるにおいてある種培われてきた記号的な演技があって、それは宝塚でもたぶん同じなんですよね。で、そうした記号的なお約束と、多様性を担保すべき演目とはちと食い合わせがよくないという印象。

それにしても、「ナートゥ・ナートゥ」は圧巻でしたね。客席も「待ってました!」と声にこそ出さねど、観客の心が一気に前のめりになったかのような高揚感がありました。ダンスのうまさ速さだけでなく、あの舞台いっぱいにひろがった面々が一心不乱に踊る様子というのはもはや感動を超えた何かであり、物量で殴られるってこういうことか…!とただただ魅入るのみという時間だったなと。あれができるのはまさにこの劇団の強みですね。底力がえげつない。普通の舞台じゃあれは無理です。

かつての同志が袂を分かって命のやりとりをする、というシチュエーションが三度の飯より大好きマンとしては、ビームが誤解をしたままラーマを手にかけそうになるあの場面がなかったのは残念でしたが(お前の性癖を押し付けるんじゃない)、そこはあれだけのファンを生んだ映画だから、どこを切っても残念に思う人はいるでしょうし、個人的には脚色はいい仕事をしてらっしゃったなという印象です。

例によって役者さんのお名前をほとんど存じ上げず申し訳ない限りですが、ラーマ役の暁千星さん、後半になればなるほどかっちりした御髪が乱れ、乱れてからが本番です!とばかりに色気びしゃびしゃになるタイプのお方で、そんなの好きに決まってるじゃんねえ~!とホクホクしながら見ておりました。

「VIOLETOPIA」、どこかファンタジックで王道、華やか!というよりちょっぴり蠱惑的…という雰囲気のレビューで好きな感じでした。あとレビューでいちばん見入ったのが群舞なんですよね。なんか圧と気合がすげえというか、うまく言えないですけど演者の迫力に押される感じがあって、見ごたえしかなかったなと。そういう意味でも、RRRとの相性もこの組ならではの良さがあったのかもな~と思ったりしました。楽しかったです!!

「2023年のベスト」

ハイ2024年の芝居初めも終わったところですが振り返りまだだったね!ということで今更ながらに恒例のやつやっておきます!!

観劇編

総観劇本数52本!コロナ禍で一時期20本台にまで落ちましたがコロナ前の2018年と同数にまで復帰。4月から勤務場所が変わり平日観劇に行けるようになったのもプラスに働いたなと。というわけで、よかった芝居5選(見た順)。

個人的には再演作品よりも新作を高く評価したいのですが、「日本文学盛衰史」と「海をゆく者」はあまりにも極まって良すぎてこれを選ばざるを得ない!という感じ。一方は脚本・演出の技の極み、もう一方は演技というものの技の極みのデパートといったところ。「天號星」はひさびさに気持ちよく新感線でチャンバラを堪能できたのと、なによりあの一幕ラストのドドド級にかっこいいタイトルバックにしてやられたねえ。「Meilleure Soirée」は「私が好きな芝居はこういうやつなんだよ!」っていうのが凝縮された芝居で本当に最高でした。「アンドレ・デジール」はぜんぜんノーマークだったんですが、開幕後の評判の高さにチケット取ったやつ。作品の力で千秋楽に向けてチケットが売切れていくのってむちゃくちゃ健全よね…!

映画編

総鑑賞本数20本、複数回見た作品はなし。今年は見た本数も低調だけど絶対これだ!みたいな作品にも出会えず、それが鑑賞本数が伸び悩んだ結果につながったかも。あと芝居を観られるなら映画より芝居を優先したってのもあるかな。というわけでこちらはよかった映画3選(見た順)。

  • 「イニシェリン島の精霊」
  • 「マッシブ・タレント」
  • 「シアター・キャンプ」

マーティン・マクドナー大好きっ子で申し訳ないが、イニシェリン島の精霊、2023年の年始頃に見た映画だけど今に至っても全く印象が薄れていないのがすごい。強烈すぎる。マクドナーのひりひりした作品、歳をとってだんだんその手の作品を受け止めるこちらの皿が浅くなっていってるのを自覚しているけど、それでもなお手に取らせてしまう引力がある。幕切れも完璧すぎたな。「マッシブ・タレント」は本人が本人役を演じるという構図を最大限生かした脚本の構成のうまさに舌を巻きました。「シアター・キャンプ」は自分が観劇好きであるという点も大きかったと思いますが、演じることへの人間の憧憬と執念、そしてそれがもたらす喜びにとりつかれた人たちを描いていてこんなの、好きにきまってるやんか…!という映画だったなと。
2024年の映画はとりあえず「オッペンハイマー」の公開日はよ!という感じかなあ(GG賞おめでとうございます)。本数ももう一声伸ばしたいところ!って去年も言ってた!

「OUT OF ORDER」

レイ・クーニーの戯曲を豪華キャストで上演。兵庫公演が取れず、えっじゃあ大阪かあ…と深く考えずに先行申し込んだら大楽が1枚転がり込んできたっていう。地味に運を使い果たしたのでは!?と思うほど、明らかに激戦だった感のある客席でしたね…倫也くん人気すさまじいね…。

お話はいかにもレイ・クーニーというか、その場しのぎのデタラメからどんどん状況が悪化し、登場人物たちは思いつきで別人を演じることを余儀なくされ、すったもんだの末に丸く収まる…という王道コメディ。与党副大臣リチャードと野党の新進気鋭の議員ジェーンがホテルで密会、双方既婚者でありかつ政治的立場からもこの密会がバレるとお互いのキャリアに暗雲が立ち込めるというやつだが、そのスリルを味わってしまう恋人たち。しかし、そのホテルのスイートルームの窓に一人の死体が発見されてさあ大変。警察は呼べない、支配人にも言えない、この死体をうまいこと処理して不倫がバレないようにするにはどうしたら!という状況で呼び出されるリチャードの私設秘書ジョージ。彼の苦難の道のりは、いま始まったばかり!

口から出まかせとその場しのぎの嘘を重ね塗りし、事態を悪化させるリチャードをユースケ・サンタマリアさんが演じていたんだけど、絶妙に作り込まない、なんとなく素が見えるようなキャラ立てにしてたのがよかったね。こういうタイプのコメディは、ともするとこの「おまえがすべての原因だ!」という役どころが反感を買ってしまいかねないが、ユースケさんのキャラクターが絶妙に効いてたと思いました。マギーの演出も実に手堅い。

ほぼ全編振り回されっぱなしのジョージを演じた倫也くん、後半に至るまで種々様々なリアクションを求められる役柄だけど、彼本当にこの若さにして達者というか、投げられる球種がバラエティに富んでるのがさすが。驚き、あきれ、苛立ち、諦観…などなど、どんどんひどいシチュエーションに陥っていくなかでまったく演技に繰り返しがないのがすばらしい。あとはやっぱりリチャードの妻パメラを演じた猫背椿さんの圧倒的コメディ力というか、舞台で面白いことをみせるとはこういうことでございます、というような芝居が圧巻だったなと。マジで「おもしろ」において踏んできた場数と種類が違いますという感じ。後半もはや猫背さんが出てくるだけで面白いというようなレベルでさすがすぎました。

最終的に広げた風呂敷がきれいにたたまれるというよりは、「あれはどうなったんだっけ…?」みたいな疑問符ありつつも勢いで飲み込ませる!という感じではあったけど、こういうハッピーエンディングは嫌いじゃないやつ。年の瀬に気持ちよく笑って終われて、すがすがしい芝居納めでした!

「海をゆく者」

  • PARCO劇場 I列12番
  • 作 コナー・マクファーソン 演出 栗山民也

2009年日本初演、2014年再演。過去二演から吉田鋼太郎さんの演じた役が高橋克実さんにバトンタッチした以外は同じキャスト、同じ演出家での再々演。これはなかなかないケースでは。パルコ劇場の周年記念というタイミングも奏功したのかな。

初演再演ともに拝見しており、その二度とも心から満喫しましたが、今回は今回でまたなんと言いましょうか、あまりにも、あまりにも仕上がりきっており、その精密緻密な演技合戦に3時間ずっと「こんなにうまい芝居を集中的に浴びてしまっていいのか!?何らかの法に触れるのでは!?」と錯乱しそうになるほど極上の時間でした。いま日本で見られるかなり極北の「うまい芝居」だと思うので、年明けからの地方公演に行ける人はぜひ足を運んでもらいたいという気持ち。

第一幕はそれぞれキャストの出ハケもあり、物語のはじまりなので場が動くところがありますが、二幕はかなりの長い時間、ポーカーに興じる5人の会話だけで進行していくわけで、このポーカーの場面での5人の芝居がねえ、んもう、うめえなんてもんじゃねえのよ。紙幣がテーブルの下に落ちたり、カードが落ちたりといったアクシデントも、「本当にいまここで5人がポーカーをやっている」としか思えない流麗さで処理される一方、決めるべきときに決めるべき人がガーン!と押し出してくるその外連味。

あまりのうまさに戯曲がどうなっているか知りたすぎて、思わず「悲劇喜劇」を買ってしまったし、もうパンフを買うのも長いことやめているのに今回は買ってしまったものね…古希目前のおじさん俳優たちの威力マジでおそろしいよ…。

私は以前この芝居を見たときに、この舞台のロックハートについてこう書いている。

悪魔であるというかれは、もうほとんどダメになりかけていたシャーキーの元に現れ、その人生を欲しいと迫り、それによってシャーキーにとっての自分の人生のいとおしさを甦らせる存在であっただろうとおもうのだ。そのいとおしさをシャーキーはずっと持っているわけではないだろう。いつかそんなことをも忘れてしまうだろう。ただそれでも、あの瞬間に感じた人生へのいとおしさがウソだというわけではない。

三演目となる今回も、やっぱり同じことを思ったわけだが、実はこの「その人生を欲しいと迫り」というのは第三舞台の「ビー・ヒア・ナウ」に出てくる台詞なんですね。でもって、そういう存在のことを「他人の人生を生き生きとさせるのに必要で、それでいてなんの実体も持つことができない」と評されているんだけど、そう考えるとラストのロックハートの「私が欲しいのはただひとつ、皆さんにあって私にないものだ」って台詞の哀しさがいっそう浮かび上がってくるように思えるんです。

吉田鋼太郎さんから高橋克実さんに替わったリチャード、克実さんがやると最後のシャーキーへの言葉と贈り物が不器用ながらも弟への情愛を深く感じさせてとてもよかった。大谷さんのニッキーの陽気さ、平田さんシャーキーはもちろん言うことなし、浅野さんアイヴァンの芝居の緻密さよ!そして小日向ロックハート…これ戯曲で読むとロックハートはニッキーより大柄で裕福なビジネスマンとト書きで描写されているから、そういう意味では小日向さんよりも恰幅のよい風体が想定されているようなんですが、いやもうまずロックハートを初演時に小日向さんにキャスティングしたプロデューサーが偉すぎると私は声を大にして言いたい。あまりにもはまり役じゃないですか!?仕草の優美さ、声の良さ、冷徹さを匂わせる佇まい、「ひとならざるもの」をあんなにも魅力的に出現させるの本当の本当にすごすぎる。好きしかない。あの「私がシャーキーをやっつけてやる」「絶対だろうな?」「絶対に絶対。」ってもう、永遠に聴いてたいもんね。

読み甲斐のある脚本、王道の演出、なによりキャスト5人の手練手管の見事さにより、愉悦としか言いようのない3時間でした。素晴らしかった。これぞまさしく、最高傑作の呼び声にふさわしい一本!

「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」


ロアルド・ダールの「チョコレート工場の秘密」におけるウィリー・ウォンカのキャラクターをフューチャーした作品。監督はポール・キング

大ヒットしたジョニデの「チャーリーとチョコレート工場」とはほぼリンクしておらず、単体として見た方がよい感じ。今作のウォンカはショコラティエとしての腕は超ド級であるものの、変人というには奇天烈ぶりはそれほどでもなく常識人、お母さんの思い出を胸に一旗揚げようとする心優しい青年といった風情。

ウォンカが訪れた街では一部の人間が「ショコラ」を独占し、競争相手の商売を賄賂や脅しを駆使して妨害、それを取り締まるはずの警察トップとずぶずぶの関係で、かつそのバックボーンには宗教団体が控えている…という、どこのフィルムノワールだよ!?という設定で、媒介しているのがチョコレートだからなんか児童文学のインスパイア作品です!みたいな顔をしているけれどこれどう見ても麻薬戦争ですよね感がすごかった。

ウォンカとヌードルが知り合うアコギな(というかほぼ人身売買まっしぐらな)宿屋の搾取ぶりもえげつなく、そういう意味ではわりと勧善懲悪ふうではあった。宿屋で強制労働させられている面々と一致団結して「敵」を倒そうと大作戦を練るところとかね、それぞれのキャラクターも立ってて楽しかったし、ウォンカはどれだけ悲惨な目にあっても基本楽観的なので、暗い気持ちにならずに見られるのはよかった。あとやっぱりチョコレートの魅力よね。これどうやっても見た後チョコレートが食べたくなっちゃうやつなのよ。

見ていて、あれっこれってブロードウェイ発でしたっけ?ってぐらいミュージカルとして仕上がっているので、この映画も早晩舞台化になるんじゃないかなどと思ったり。

ティモシー・シャラメのウォンカ、麗しさ1000パーに世間知らず面白青年感70パーという感じで圧倒的に麗しかった。何にまみれてもうるわしいのでシャラメのうるわし力がすごい。オリヴィア・コールマンサリー・ホーキンスはそれぞれニンを存分に生かしたいい仕事っぷり。あと最近見る映画見る映画ぜんぶにヒュー・グラントが出ているような気がしてきたけどたぶん気のせいです!