「三人吉三」

第四回コクーン歌舞伎で上演された作品の再演。前回は映像で見ただけだったのですが、非常に心つかまれるものだったので今回の再演は非常に楽しみにしていました。

庚申丸という脇差と、その刀を巡る百両の金が因業因縁に満ちた人々を結び付けていくわけですが、普通に筋書きを読んだだけではこの入り組んだ人間関係というのはなかなか頭に入りにくい。しかしその「そんなご都合主義な・・・」と取られかねないような展開を説得力をもってみせてくれていました。初演を映像で見たときには、大詰でのカタルシスに満ちたシーンが印象的だったのですが、今回心に残ったのはそれに至るまでの人間ドラマの丁寧な描き方、演じ方。おとせと十三郎が出会い、恋に落ちるときのあの「運命」としか言いようのない惹かれ方やお嬢とお坊が百両の金をめぐって丁々発止と言葉を投げかけるときのギラギラした感じ、絡まった因縁の糸に気づいてしまった和尚の絶望、後悔の念の中でたったふたり同じ思いを分かち合うお嬢とお坊の死を挟んでのやり取り、それらがきちんとこちらの胸に落ちているからこそ、あの大詰めの美しさがあるんだなあと、ただ壮大なシーンを作るだけでは為しえない空気を作ることができるんだなあと改めて思わされました。

串田さんの演出もかなりアグレッシブというか、攻めの姿勢を無くしていないなあと感心。全体をかなり暗いトーンで統一していて、(これ映像で残すのはかなりぎりぎりではないだろうか)、大詰のシーンに至るまでいっさい晴れ晴れとしたところを作らないのもすごいなあと。お竹蔵裏の場の明かりは印象的だったなあ。エレキギターの鳴らすキリキリとした音が因縁の糸が絡まっていく音のようにも聞こえて面白かった。

私がこの芝居で一番好きなのは、和尚の話を聞いてしまったお坊と、それを欄干から見ていたお嬢がふたり、自分のしたことの罪の重さ、その先行きに絶望して死を選ぼうとするシーンです。この二人には和尚でさえわからない、特別な何かがあると福助さんも仰っているけれど、俺と一緒に死ね、というお坊に「生きろと言われるより、おれはうれしいよ」と返すあのお嬢の壮絶な笑顔。俺は腹の切り方をしらないから、お前が殺しちゃくれないか、とまるで駄々をこねるように床に寝そべってお坊を見上げるお嬢と、二人の間に流れるエロティシズム。ここでお嬢の顔を客に見せない、というのがまたなんともいえない絶妙さだなあと。

そのシーンのあとに風景がぐらりとゆれて、生首を抱えた和尚が墓場から出てくるわけですが、ここの勘三郎さんもすごい。完全に目がこの世のものではなくなっているものね。その前の包丁を手にとって「これは切れそうだ」というシーンもすごく好きなのですが、身に纏う空気で観客の空気を自由自在にコントロールしている感があります。

役者さんはもう言わずもがなの見事なアンサンブルで、おとせと十三郎を演じた勘太郎くんと七之助くんの醸し出す空気もほんとに見事だったし、なによりこのお嬢吉三を演じる福助さんはほんっとに大好き。橋之助さんとのコンビももちろん絶妙。

前半は大いに笑いも交えながら、大川端などの見せ場も十分に堪能させてくれ、なおかつこの救いのない物語を描きながらあの一切を浄化させてみせる幕切れ。芝居見物とはこういうもののことを言うのだよなあとただただ圧倒されるばかりでした。