「四月大歌舞伎第三部 桜姫東文章 上の巻」

演劇ファンというのは誰しも自分の中に「届いた伝説」と「届かなかった伝説」を飼っているものですが、ものですがってこれ私が勝手に言ってるだけですが、いやでも飼ってるでしょ?演劇ヲタクほど「伝説」好きな人種はいないと私はおもってます。そんな中でもこれは飛び切りの伝説であったと言ってよいのではないでしょうか。仁左衛門玉三郎による「桜姫東文章」。私にとってはもちろん、心の中に飼っていた「届かなかった伝説」のひとつです。それがなんと36年ぶりに歌舞伎座で上演されるっていうんだから…いうんだから!

今月は「上の巻」ということで三囲の場まで。改めて物語の筋を追うと「いやすげえ話だな」ってなるし、玉さま仁左さまにフォーカスしても「いやすげえ芸の力だな」ってなるし、全方位にすげえすげえ感嘆しっぱなしの約2時間でした。出家を一心にのぞむ良家のお姫さまが、自分を手籠めにした男を忘れられず、その男に再会したとたん触れなば落ちんといった風情を漂わせる、さらにその姫に執着して高僧が堕落していく話までかぶせるんだから、もう、南北、癖がすごい。文字通り性癖の癖が。でもって、それを120%「アリだ!」と思わせてしまう玉三郎さまと仁左衛門さまのすごさよ。だってもう、70歳を超えてらっしゃるのよ?そんなの微塵も感じさせない。そもそも白菊丸と清玄で出てきたときから「このお二人の前には…時間って…無力?」と思ってしまうほどフレッシュで、初手から脱帽でしたもん。

桜谷草庵の場のおふたり、あの刺青をあらわすときの腕の見せ方から、足でぐりぐりから、腰を抱かれてぐっと反る桜姫の身体の線から、帯をぐるぐるから、いやもう「これは…やってますわ…」という空気しかなくてすごかった。あんなに色事の空気しかしない場面ってあります!?マジで息を呑んだし客席全体息を呑んでました。でもっておふたりが美しすぎんのよ。なんでしょうねこれ。倫理とかすっ飛ばして「美しい!ヨシ!」ってなってしまうこの心ってほんとどこからくるんでしょう。

しかもそこに残月(歌六さま~~!)と長浦の爛れに爛れた男女の様子を差し挟んでくるからほんと鶴屋南北の筆たるや。このドラマを遥か昔の市井の人たちも見ていて、きっと今の私たちと変わらない興奮をもってみていたんだろうなと思うと、なんだか無性に心強くなりますね。

下の巻は6月に上演決定。震えて待つ!