「オデッサ」

三谷幸喜さん新作舞台。「鎌倉殿の13人」での好演も記憶に新しい宮澤エマさん柿澤勇人さん迫田孝也さんの3人で挑む会話劇。面白かったです!ネタバレが興を削ぐタイプのストーリーではあるので、これからご覧になる予定の方は観てから読んでくだせえ!

今回の舞台のテーマ、テーマというか舞台を一本成り立たせる「アイデア」は「言語」。こういうトライアルはさすがに過去に例がないでしょうし、三谷さんの「花見の場所選び」の目の確かさは全く衰えてないなと。

テキサス州オデッサという町、「黒海の真珠」と謳われるウクライナのオデーサとは異なり、あくまでも平々凡々としたこの地方都市で、ひとりの日本人旅行者が警察から事情聴取を受けようとしている。この旅行者は英語を解さず、そのためこの町で働く日本人が通訳として駆り出される。偶然にも通訳を務める男と日本人旅行客は同郷であった。旅行客にかけられた嫌疑は「殺人」。果たして英語と日本語、そしてお国言葉の飛び交う中で事件の真相はどのように暴かれるのか?

日本語も英語も母語同然に駆使する宮澤エマさん、英語母語者と自由に会話できる語学力を有する柿澤隼人さんをキャスティングし、このふたりの会話は舞台上では日本語で話されるが、設定では英語で会話している。一方で容疑者を演じる迫田さんが会話に加わるときには、実際に行われているように宮澤さんは英語で話し、それを柿澤さんが通訳する(背後に字幕が出るので、観客は字幕を通して宮澤さんと柿澤さんの発言内容を知る)という、説明するとめちゃくちゃややこしいんですけど、これ実際舞台を見たら瞬時にこの構図が飲み込めるんですよね。セットを若干動かして字幕を出すか出さないかぐらいしか舞台上の変化はないけど、この構図を飲み込めないって人はほとんどいないんじゃないかと思う。

ニコニコでの字幕からSNSでの実況、配信見ながらのチャットなど、目の前の映像とかを見ながら字幕を見る、見るだけでなく字幕で遊ぶみたいなことに観客は完全に慣れてるし、文字情報だから面白いというネタはもちろんあるわけで、演劇なのに「字幕の遊び」を駆使してたのもさすがのアイデアだなーと舌を巻きました。

これはいわば「二言語間で起こるシチュエーションコメディ」なわけで、いつもならすれ違いや勘違いから起こる「場」のコメディが、言語を介して起こる、それも実際に異なる二言語を駆使して笑いが起こっていくというのがまずもって「こんなのみたことない!」し、それだけで私の中では相当高得点です。

でもって、さすが刑事コロンボを愛し、古畑任三郎を書いた作家というべきか、ミステリに対する手つきが非常に丁寧だった。観客(読者)にフェアというか。容疑者は最初に自分に殺人の嫌疑がかかっているとわかったときから、犯行の自白で「首を絞めた」と言っており、それは冒頭に話されるもうひとつの事件とちゃんとリンクしているんですよね。容疑者の化けの皮がはがれるきっかけも、罠にかけるやり方も、ちゃんと「ミステリとして面白い」スタイルを崩していないのが本当、さすがすぎました。一点だけ難を言えば、あの資料に犯人のモンタージュがすでに入ってたというのはなかったほうがよかったかも。冒頭でモンタージュがあるってことは昨日の時点で取り調べた警官らがなんで気づいてない?みたいな綻びになっちゃうよねミステリとしては。芝居としては大きな笑いにつながるのでアリといえばアリなんだけど!難しいところです。

柿澤さん、以前三谷さんと組んだときにホームズ役を演じられてましたけど、三谷さんの中でこういうひらめき系のキャラをさせたくなる何かがあるのかな。二つの言語の間を行き来して汗をかく青年像が見事。スレた読みをしがちなファンとしては「これで柿澤さんの方がアレとかいうアクロイド殺し展開やめてよ!?」と思ってたけど、それはさすがに穿ちすぎだった。

宮澤さんの演じた生活感のある女性警官も絶妙で、過度にカリカチュアライズされた女性警官像になってなくてよかったです。いやほんとここんとこ三谷さんの描く女性像がかなり地に足ついてきてるなって思う(かつては「母」と「婆」以外の女性を書くのが不得手だった)。迫田さん、お国言葉炸裂の、どこからどう見ても善良そのものな姿からのどんでん返し、すばらしかったね。思えば三谷さんは迫田さんのような役者を見つけてくるのが本当にうまい。なんかかつて八嶋智人さんが「見つかった」ときみたいだな~と迫田さんの活躍を見るたびに感慨深くなっております。

久しぶりの新作舞台で、手慣れたものではなくアイデアありきのホンで挑んでくるところ、そしてそれがちゃんと面白いところ、本当に得難い作家だし嬉しい男だよ三谷幸喜は!と心から万雷の拍手を送った舞台でした!