「天保十二年のシェイクスピア」

3年前の劇団協議会10周年記念で演じられた時もそうだったんだけど、この話は個人的にやっぱり「趣向を楽しむ」みたいな風に捉えてしまうところが強いわけです。これは「物語」としてみるとやっぱり吸引力は弱いと思うんですよねえ。だからこそ、シェイクスピア作品を知っていて(さらに今回は蜷川さんの過去のシェイクスピア演出を知っていて)見た方がより楽しめるというのは、やはり「趣向」としての色合いが強いからではないかなあと。
だとすると、これはやっぱり一種のお祭り的な作品で、だからこそこれだけ豪華なキャストが必要不可欠なんだなあと思いました。4時間という長さを埋めて埋めて埋めてみせるぜという気合いの入った役者さん達の演技合戦を見ているだけでも幸せに浸れる感じ。

冒頭の歌「もしもシェイクスピアがいなかったら」が素晴らしかったですね。これは蜷川演出でやるからこそ(そして蜷川常連の役者さん達でやるからこそ)シニカルでいい。木場勝巳さんの存在感が終始舞台を締めていてくれた気がします。傍白三人娘から飛ばしに飛ばしまくる吉田鋼太郎さん、それに対抗する夏木マリ姐さん、高橋恵子姐さんも最高でした。

勝村さんの幕兵衛と唐沢さんの三世次は非常に真っ当。勝村さんは最初に出てくるシーンが最高潮にカッコイイ。それまで舞台上にある意味怪物しかいないので(褒め言葉)、すっとした姿形が清涼剤のようでした。白石加代子さん、清滝の老婆で閻魔堂の観音開きの扉から出てくるところで観客から「おおおお」という声にならぬ声があがってしまうほどオーラたっぷり。すっごいわあ。佐吉と浮舟の話は3年前の時には削られていた話だけど、高橋洋さんの佐吉がもうあまりにもナイス息子!なので迫り来る悲劇がもうつらくてつらくて、つらかったっすー!私愁嘆場を延々やられるのは好きじゃないんですけど、佐吉にあまりにも気持ちがのめり込んでいたせいかあの嘆きはまったく長さが気にならなかった・・・というか、そりゃ、ああなるよね!と思ってしまいました。毬谷友子さんは相も変わらず七色の声でいらっしゃる。お冬を藤原竜也くんと組んでやっても違和感ないってすごいです。親子ぐらい違うだろう、年。藤原くん、歌に危なっかしさはあるもののテンション高くていいです!何よりいいのはテンションが高いだけじゃなくて、きちんとシリアスとの切り替えが出来ていることだと思った。でもあの、まだ初々しさがあるという感じでエロくはないのね、そこのところはご愛敬という感じでしょうか。

最初に書いたように「趣向」という感じで楽しむむきが大きいからか、三世次がおさちを口説いたあとあたりからクライマックスに至るまで、物語的にはハイライトなんですけどそのあたりはちょっと集中力がとぎれてしまいました。

1974年に書かれた作品がこの3年の間に超一流のキャストを集めて2度も演じられたわけですし、せっかく双方見させていただいたので少しばかり二つの作品の間で気付いたことなど。

井上作品、こまつ座で何度か見させてはいただいているのですが、お恥ずかしながら「脚本」というレベルでは読ませていただいたことがないのですけど、ト書きの指定が結構あるんですかね?まったく違うタイプの演出家の二人なのに、あれ、似たような場面だな・・と思うところが結構ありました。「赤ん坊と陰謀は女の陰部から生まれる」の場面、なぜコタツ・・・とか(笑)あのシーン、コタツある方が好きだけど、コタツの必要性あんまりないですよネ。いのうえさんはコタツ好きだからわかるとしても*1、蜷川さんまでコタツなのはやっぱト書き指定なのかなーと。ってくだらないっすね、すいません(笑)

いのうえひでのりさんの演出はやっぱり趣向としても魅せるのはもちろんだけど、物語としても成立させようという感じがよりはっきりあって、すごく真面目に演出しているなあという印象でした。三世次の物語として描こうという意図はいのうえ版の方が大きかった気がします。だからこそなのか、鏡のシーンからラストに至る流れ、スペクタクル感はいのうえ版の方が見応えありました。

蜷川さんは逆にシェイクスピアというものと今までがっぷり四つで組み合ってきたからこその余裕があって、真面目に取り組みつつ、距離をとって冷やかしつつ、の間合いが絶品。こっちのほうが遊び心満載、という感じに仕上がったのは普段のお二人の作品と比較すると面白いですよね。お祭り的な作品として楽しむにはこっちが好きかなあ。キャストの力も大きくて、これもシェイクスピアと今まで本気で闘ったことのある役者だからこその面白さもあったし。しかし、このメンバーを束ねられるのは本当に蜷川さんしか居ないですよねえ。

あ、あといのうえ版で大好きで楽しみにしていた「桜のいろは」が今回無かったのはちょっと哀しかったかも。蜷川さんは自分では脚本をカットしないので、井上ひさしさんが直しの段階で削ったのだろうけど、あれ好きだったので残念だなー。「幔幕の中にも死体がひとつ転がってるよー!」から「桜のいろは」に至る流れは最高だったっす>いのうえ版

二つの作品の違いはテーマとなった曲にも現れてると思うんですけど、蜷川版は「もしもシェイクスピアがいなかったら」、いのうえ版は「無常のうた」で、この2曲がそれぞれの作品の中でも突出して優れた楽曲だったように思います。

しかし、この作品はもう相当豪華なキャストを揃えないとちょっとやそっとじゃ上演できないような感じになってきつつありますな(笑)

*1:轟天3」副音声での池田成志さんの発言より。轟天3で出てくるコタツ畑はいのうえさんの夢だそうです(笑)