「真夏の夜の夢」

言わずと知れたシェイクスピア原作の有名なこの作品を、野田秀樹さんが潤色・演出して上演したのが1992年。28年前…遠い目になるな。この時期、東宝主導で野田さんに商業ベースの大きな舞台をやらせようムーヴが続いてて、「十二夜」や「から騒ぎ」も上演してましたね。今回の演出はシルヴィウ・プルカレーテ。

枠組みはシェイクスピアの「夏の夜の夢」ではあるけれど、その後「三代目、りちゃあど」らと一緒に「廻しをしめたシェイクスピア」として戯曲にまとめられたように舞台の置き換えが行われていて、料亭の跡取り娘(ときたまご)とそれを慕う板前(ライとデミ)、その板前の一人を慕う娘(そぼろ)という登場人物になっている。それだけでなく、原作にはいないメフィストがもうひとりのトリックスターとなり、この世界を破滅に導こうとする…という脚色がなされているので、原作のテイストが残るのは最初と最後だけ、といってもいいかもしれない。そして、この作品における「野田秀樹テイスト」がもっとも色濃く表れているのは、メフィストが「人間が飲み込んだコトバ」によって行動し、しかし最後にはその「コトバ」の再構築によって鎮められる、というところじゃないだろうか。

なので、ラストのそぼろが今までの「コトバ」で紡ぎ直していくところは、野田戯曲のエモが集約されたシーンでもあるので、そこはもっとエモエモしくやってもらうほうがわたしの好みだったなーとは思いました。とはいえ、パックとメフィストを対のトリックスターに配し、白と黒のスタイリッシュな衣装でみせるところ、その他のセットのクールさもあわせてそこは戯曲の魅力が倍掛けで活きていたなーと思います。

特にパックに手塚とおるメフィスト今井朋彦をもってきたあたりがすばらしいとしか言いようがなく、この2人にやらせたら間違いない、というキャストでもはや見応えしかないという感じでした。特に今井さんのメフィストは、あの独特のイントネーション、立ち居振る舞いの優雅さ、舞台に出れば誰よりも場をさらう圧倒的な存在感で、これぞ「この役者を見るためだけでもチケット代の価値がある」というやつだったなと。

「リチャード三世」で組んだ役者さんを多く起用されていて、演出との相性も良く、かつ実力のある役者がすみずみまで出ている感がありました。あと鈴木杏の強靭さね。どんな舞台で見ても鈴木杏の身体が雄弁でなかったことなどないと思うし、終盤の牽引力はさすがのひと言でした。

ラストの、有名なパックの台詞。お気に召さずばただ夢を見たと思ってお許しを、つたない芝居でありますが、夢にすぎないものですが、皆様がたが大目に見、おとがめなくば身のはげみ…。いつ聴いてもこの台詞は最高に好きだけど、今この時だからこそより打たれるものがありました。そのあと、キャスト一同が手を繋ぎ、ゆっくりと舞台奥から歩いてカーテンコールの拍手に応える演出も、すばらしかった(この時の鈴木杏よ!これぞ女優という風格)。旅公演の大千秋楽まであと少し。無事に旅を終えられますように!