「アルトゥロ・ウイの興隆」

ドイツから亡命したベルナルド・ブレヒトが、アドルフ・ヒトラーの勃興をアメリカ・シカゴのギャング抗争になぞらえて書いた寓話劇。最初にちゃんと「これはそういった趣旨の寓話ですよ」と前置きがあり、場面ごとに「今の展開は現実世界においてはどういう事件だったのか」の説明までしてくれる。初演は拝見しておらず、今回初見です。

しかしなんつーか、白井晃さんの演劇人としての意地悪さが存分に発揮された舞台だったなと思う。意地悪つーと語弊があるかもしれないが、どれだけ君らを居心地悪くさせても、言いたいことは言うし、これはそういう作品なんでね…というような視線を感じた。

舞台の上にはビッグバンド、華やかなダンサー、そして華がある、ということが人生を左右する現場にその身を一生涯晒し続けているスターが呼び込まれる。ジェームス・ブラウンの音楽による興奮、高揚、アジテーション、また興奮、その繰り返し。

最後には、その繰り返しで何が起こったのか?ということを客席にバケツを落とすようにぶちまけて終わる。

客席を巧みに巻き込む演出を少しずつ組み込んでいて、コロナ禍でなければもっと客席芝居を展開したかったのではないかと推察しますが、それによって観客を「大衆」にしてしまう、その役割を担わせる目的があったと思います。最後の、シセロの組合との連合(実際にはオーストリア併合を指す)を決議する場面で、観客に挙手させるあれ。戯曲指定なんですかね。戯曲指定じゃなかったら白井さん相当性格悪いぞ!これ褒めてます!

カッコいい音楽、カッコいい役者、きらめくスター。そうした熱狂を束の間、舞台のうえに表出させておいて、熱狂のもたらす功罪を突きつけられるんだから参る。最後、絶対挙手しない、と決めていても(そして挙手しないことで何も弾劾されないと理解していても)恐怖と居心地の悪さを感じないではいられず、そういう意味では白井さんはこの戯曲の持つ力をむちゃくちゃ理解してるな…と感嘆しました。

例によって誰が出ているかほぼ把握しないで見に行ったため(草彅くんはもちろんわかってるヨ)、深沢さん!なきゃやまさん!?えっあなたは細見さん!?と久しぶりに拝見できるお方もたくさんいて嬉しかった。それにしてもいいキャスト揃えてますよねホントに。バッキバキにキメた赤いスーツとハットで終始踊りまくり、シャウトしまくるつよぽん、物語の裏を忘れて熱狂させるカリスマ性というやつを体現してて見事。ラストショットの表情も絶妙でしたね。

そうそう、公式サイトの先行予約なんてぜったいいい席くるわけない派の人間だったんですけど、今回驚くほどいい席がきて、全部の舞台がこの位置から見られればねぇ~!と思うほどいい席だった。俗にいう演出家席みたいな。役者の目線が来て舞台がぜんぶクリアに見れる。舞台美術の見せ方もすごく好きだったな。さすが信頼と安心の二村さんworksでした。

「キングスマン:ファースト・エージェント」

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幾度に渡る延期を乗り越えて、ようやく公開されました「キングスマン」の前日譚!いやー待ちかねた!監督はもちろん、マシュー・ヴォーンです!以下物語の具体的な展開書いちゃってますよぉ~!

今回は独立エージェント組織「キングスマン」の誕生秘話を描いており、舞台は20世紀初頭。第一次世界大戦に巻き込まれていく中でいかに「キングスマン」が誕生したか…という話なんだけど、時代背景も相俟って途中むちゃくちゃ「戦火の馬」や「1917」を見ている気になったし、マシュー・ヴォーンだからこのまま一筋縄じゃいかないよねって思ってたら案の定…コンラッド…ううう…。いや入れ替わりのために声かけたのがアーロン・テイラー=ジョンソンである時点で予想すべきだったこれは。っていうか彼のファーストショットで気がついてなかった私ってなんてばか。

それにしてもキャスト陣豪華すぎましたね。ダニエル・ブリュールはなんなの、あの方眼鏡であんな囁き系ヴィランとかハマらないわけなかろうがー!という感じだったし、マシュー・グードだった時点でお前がそのポジションで終わるわけなかろう感あったし、むしろヴィラン側キャスト手厚すぎたわ。マシュー・ヴォーンらしさがむちゃくちゃ出たのはなんといってもラスプーチン周りのシーンだったなーと思います。リス・エヴァンス快演、いや怪演。レイフ・ファインズの足を舐めさせる必要あったのか!?いやむしろ舐めさせるために足悪い設定持ってきたまであるな!?と思わせるのがマシュー・ヴォーン。格闘ダンスシーン最高に楽しかったです。あとトム・ホランダー見事すぎた。同じ顔なのに違う人に見えるんだからすごすぎるよ。これもマシュー・ヴォーンみのあふれる見せ方だったな~。

キングスマンでメンバーが円卓の騎士になぞらえられるのはなぜなのか、とかあの潤沢な資金の出どころとか、まっとうに「オリジン」を描いてたし、子を喪った親がその志を継ぐ、っていうストーリー展開も新しいなと思ったし、中盤の戦闘シーンの描写の容赦なさもふくめて今までのシリーズものよりもシリアスめに振られてる部分が強かったかなと思います。まあそれでも最後の山羊を巻き込んでのあれこれはかなり荒唐無稽寄りではありましたけども。

あと、ほんとにアメリカをどこかでちょっぴりでも小ばかにせずにはすまない感があふれていて、007とキングスマンはいつまでもそのままでいてくれよ…と思いました(笑)

In Excelsis Deo あるいは パ・ラパパンパンの思い出

これは後出しじゃんけんと言っていただいて差し支えないんですが、「パ・ラパパンパン」というタイトル、最初に見た時にピンとくるものがありました。これはリトル・ドラマー・ボーイのフレーズなのでは?

実際に観劇して、まさにそのリトル・ドラマー・ボーイのフレーズが歌われた時、やっぱりーー!!と心の中で拍手喝采

なぜこの字面だけで私がリトル・ドラマー・ボーイを連想したかというと、それは私が音楽に造詣が深いからではもちろんなく、ひとえにとあるドラマのエピソードゆえなのです。

ザ・ホワイトハウス」の第1シーズン第10話、原題"In Excelsis Deo"、邦題「聖なる日」。タイトルからおわかりの通り、クリスマスエピソードです。アメリカでの初放送は1999年12月15日。

アメリカ大統領側近のひとりであるトビー・ジーグラーはある朝、警察から一本の電話を受けとります。身元不明の遺体が着ていたコートから、あなたの名刺が出てきた。この人物に心当たりはないか。もちろんトビーには何の心当たりもない。警察に赴き、そのコートを見て、それが寄附したコートだということを思い出す。その中に彼の名刺が残っていたのだと。もちろんそれを着ていた男の身元を知るはずもない。それで終わりのはずだった。けれどトビーは、どうしてもそのコートを着ていた男のことを考えてしまう。

これが物語のはじまりです。脚本のアーロン・ソーキンは複数のエピソードを縦横無尽に、ものすごい勢いで組み上げていく人なので、それ以外にもたくさんの出来事がありますが、このエピソードの大きな軸は変わりません。

この"In Excelsis Deo"は、エミー賞の受賞数では他に並ぶもののない(Wikipediaをご覧あそばせ)「ザ・ホワイトハウス」にあって、傑作中の傑作エピとして名高く、その年の傑出したドラマエピソードに贈られるプライムタイムエミー賞を受賞しています。

そしてこのエピソードのクライマックスで歌われるのが「リトル・ドラマー・ボーイ」なんです。

エピソードの最後の5分間、台詞はほぼありません。少年合唱団によるリトル・ドラマー・ボーイが高らかに歌われるだけ。だからこそ、圧倒的に胸に迫るものがあります。

このエピソードを一度でも見たひとなら、最後に歌われるこのリトル・ドラマー・ボーイのことを忘れることは出来ないだろう、というほどに、素晴らしく、印象的な演出です。

今度の舞台のおかけで、パ・ラパパンパンの思い出がまたひとつ。

「イモンドの勝負」ナイロン100℃

ナイロン新作!ナンセンスで推すよと作家自ら宣言しておられたとおり、ぐいぐい推され、ゲラゲラ笑わせてもらいました。

いやーしかし、まず感嘆したのが、「国際的な大会」「世界中の強者たち」「近々開催される」というそこだけを拾えば何もおかしくない単語だけど、昨年からいやというほど繰り返されたオリンピックを巡るあんなことこんなことって、むちゃくちゃナンセンスコメディど真ん中だったんだなっていうことですね。それに改めて気がつかされたし、ある意味関係者のひとりでもあった(当初のパラの開会式演出)ケラさんが、あの雨のように降る「近々」からこういうものを生み出しちゃうっていうのがね、もう唸るしかない。

しかしこの日は深夜に胸塞ぐニュースが入ってきたばかりというのもあって、生き死にを扱ういい意味での軽妙さに心が乗っていかない部分があった。これは作品どうこうじゃなくて、同時性から逃れられない演劇だからこそだし、そういうことも観劇の記憶のひとつとして残っていくものではあるんだろうと思う。

単純な台詞の掛け合いよりも、1と1を足して3,みたいな無軌道さが顔を出す会話の方が、演じ手としては何倍も難しいだろうと思うけど、ナイロンの役者さんはあまりにも達者だし、ゲストも間合いを読める方しか来てないし、安心してワハハと楽しめたなー。最後のあの、床…いや皆まで言うまい。コロナ禍以降、久しぶりに声出して笑っちゃいました。

大倉さんを久しぶりにガッツリ拝見できてうれしかった。お元気そうでよかったです。イヌコさんとのぶえさんのコンビも好きだったなー。イヌコさんやっぱり唸るほどうまいし、のぶえさんがそれに負けてないのがすごい。ナイロンの皆さんの、超高度なことをしれっとやる、やれてしまうところ、劇団力~~!!とほれぼれしちゃいます。あと相も変わらずオープニングでカッコよさ1万点叩き出してた。センスの塊か?

「十二月大歌舞伎 第二部」

「男女道成寺」。勘九郎さんの白拍子花子、右近さんの白拍子桜子実は狂言師左近の顔合わせ。なかなか見られない顔合わせ嬉しいよね~。

お席がよかったのと、勘九郎さんの女方の踊り見るの久しぶりだなあ~と楽しみにしていた相乗効果もあるかと思うんですが、のっけから「えっ…ちょっと待って…?こ、こんなにきれいだったっけ?」と遠距離恋愛の彼氏かよみたいな衝撃があり、ほぼ全編にわたって勘九郎さんと勘九郎さんの顔をガン見にも程があるほどガン見してたんですが、どの角度でみてもきれいとかわいいのマリアージュだった。だった、と断言してしまうのがおたくの性です。いやでもマジで垢抜けた感じのする「美」でしたよ。なんだろ、化粧変わった?(超現実的な落としどころ)

途中一瞬裾を踏んでフラついたときがあって、いやまあよくないっちゃよくないんだけど、リカバーするときの顔が急に力入った顔になったのも、いやあ、上手の手からも水だね、とある意味堪能しちゃいました。

「ぢいさんばあさん」。菊之助さんのるんと勘九郎さんの伊織。拙者、何を隠そう菊之助さんと勘九郎さんの顔合わせ大好き侍と申す。欲を言えばもっとゴリゴリの演目で見てみたかった気もしますが、贅沢は言わない!こういう機会もっとふえてほしい!

玉三郎さまと仁左衛門さまでの上演が凄く印象に残っておりますが、今回のは年若い二人だからこその切なさもありつつ、たおやかで美しい菊之助るん様にうっとりしたり、人の良さの塊のような勘九郎さん伊織を見てにまにましたり、楽しかったです。

しかし、勘九郎さんの伊織はなんというか、娑婆っ気が強いよね。仁左衛門さまの伊織はもう、なんであなたがそんな目に合わなきゃいけないのか…!と下嶋絶許同盟結成待ったなし感が強かったけど、勘九郎さんの伊織は「いやまあお前もちょっとあかんとこあるぞ」と言いたくなるのはその娑婆っ気だと思う。なんなら下嶋を斬ったときが一番輝いているように見えちゃうのどうなんでしょうか(笑)

「vitalsigns」パラドックス定数

  • サンモールスタジオ 全席自由
  • 作・演出 野木萌葱

パラ定新作!タイミング的にここしかなく初日を拝見してきました。サンモール久しぶりだったな。まだ公演続いておりますので、これからご覧になる予定の方はこの先はご注意くださいませ。ネタバレしかありません。

深海救難艇が、ある潜水調査艇からの救難信号を受け取り、救助に向かう。深海800mでの遭難。パニックになってもおかしくないのに、通信の向こう側の声はやけに落ち着いている。落ち着いている?いや、これは別人だ。別人の声だ。その声が告げる。救助お待ちしています。信号は切っても大丈夫です。

小さな潜水艇の中での、登場人物5人の会話劇。かつて野田秀樹が、三谷幸喜が「オケピ!」で岸田戯曲賞を受賞した際の選評で、作劇のうまさを「花見の場所取りのうまさ」にたとえていたことがあるが、この戯曲もまず、その「場所取り」がうまい。完全なる密室にいる5人、対話するしかない5人、その中で他者という異物をもっとより具体的に「異物」として描くという。

こういうところ、最初に見たものを親と思うじゃないけど、私の中でどうしても「大いなる虚構」を描くものにぐっと惹かれちゃうところがある。野木さんはフィクションを書く人ではあるけど、ノンフィクションベースのフィクション、という設定が非常に多いので、こうした作品の展開は意外で、かつエキサイティングに感じられてよかった。

何者かに…体の中に侵入してきた何者か、ウイルスなのか、細菌なのか、そういったものが体内で知らない間に自分をすっかり乗っ取ってしまい、身体が作りかえられる。知識はあるが、記憶はない。ある意味「生まれ変わった」3人の調査艇の人間と、彼らを助けに来たはずの「オールド」な救助隊の2人。そう、これは見方を変えれば進化の話でもありますよね。「進化は起こるべきときに一斉に起こる」。劇中で変化しない六浦を「ニュー」「オールド」と呼ぶところがあるけれど、まさにある意味では六浦と葉山はオールドタイプ(ガンダム用語)であるともいえる。

そうした展開を描いたうえで、最終的に人間を人間たらしめているものはなにか、というような部分に踏み込んでいくのがすごい。酸素の減少した救難艇の中で、生き残るために誰を切り捨てるのか、あしたの夕飯のメニューのように犠牲者を選べるものは人間ではない?異物を前にパニックを起こし同胞を殺そうとするのは人間ではない?生き残ること、適応すること、周囲の人間が変化してくれること、そこに希望を見出そうとしても、それでも人間ではない?

葉山役は個人的にしどころしかねえじゃん!と思ういい役で、西原さんのバーン!と出る押し出しの強さが非常に活きていたと思う。神農さんといいコンビだったね。神農さんの穏やか、包容力ある、でも言うときゃ言う、みたいな役どころもはまってた。なにしろあのいいお声なので、聴いちゃう、六浦が話すと聞いちゃうのよ。植村さんもいいお声なので、いい声に目が(耳が)ないものとしては至福の時間だったぜ。

次回作は現在調整中とのことですが、またなんとかして拝見できたらうれしいな!と思っております!

「ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ」

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1作目見たのついこの間だったような気がしてるんですけど、2018年公開だからしっかり3年経ってたわ…時の流れってやつぁ…。監督は前作のルーベン・フライシャーからアンディ・サーキスへバトンタッチ、主演はもちろんトム・ハーディです!

1作目のときに、序盤はわりとハードめに物語を構築していこう…みたいな姿勢があったのに、どこかの時点でえ~いこれはもうエディとヴェノムの珍道中に全振りだ!みたいに急速に舵が切られた感があったんだけど、たぶんその序盤より全振りしてからのほうが評判がよかったんでしょう、今回は潔く最初から全振りしてた。もう完全に「エディとヴェノム、仲良く喧嘩しな」の98分だった。

そう、98分だったんですよこれ上映時間が。潔さは物語の構成にも現れてて、もう本筋(エディとヴェノムの喧嘩と復縁)以外はスッパスパ進んでいくのがすごい。キャサディ本人の掘り下げとエディとヴェノムが朝食を挟んでドタバタするシーン、後者の方が書き込みがすごいっていう。全編にわたってトムハは言うまでもなく魅力ふりまきまくるし、ファニーで楽しい映画だけれど、じゃあ私のフェイバリットだ!といえるかというとちと微妙なところもあるな~という感じ。

ポストクレジットシーン、もちろん見るまで知らなかったんですけど、ヴェノムで皆がネタバレ注意!って言い回るってことはそうなんじゃねーの、と思ってやっぱりそうだった。のでどちゃくそ驚いた!という感じはなかったけど、それはそれとしていよいよ来たか感はもちろんあり、今後の展開は素直に楽しみです。