「音楽劇 コーカサスの白墨の輪」

あんなにも「夏祭」が好きなのに串田さん演出の他の作品を拝見していないなあと思っていて、「コーカサス」は最初大阪公演があると勝手に思いこんで楽しみにしていたんですけどそれが単なる思い込みだったということがわかり、一時はもう今回は諦めるか・・・というモードだったんですけどなんか、やっぱりどうしても見たくなってしまって当日券で行ってきました。開演1時間前に行って、当日券の列の7番目ぐらいだったかしら。いろいろ事前情報の収集もしておりましたので迷うことなく1階最後列のS席をチョイス。
世田谷パブリックシアターの客席と舞台に半々にかかるように円形の舞台があって、そこから擂り鉢状に客席が両サイドにある変形舞台。私は通常だったら舞台があるほうに設えられた客席側の最後列でしたので、舞台を横切って客席に着くことになります。パンフは舞台上でも売っていて、そちらで買いました。舞台の上でちらっと上を見上げると、パブリックシアターのあの青空がなんだかいい感じ。席に着いたあとは言ってみれば通常の舞台側から客席を見る形になるのですごく新鮮でした。あと、舞台袖はこのようになっておるのか〜と開演前は異様にキョロキョロしてみたり。いつもは覗けないところが見れてなんだかお得。

設定としては劇中劇なのかな?役者たちが三々五々あつまって今から演じるお芝居の相談。候補は3つあって、ひとつは「とうさんをかあさんと呼んだ日」とか、そんなの(笑)これは却下ですよね!でもう二つは自分の子供ではない赤ん坊を育てることになった女性の話と、ひょんなきっかけで裁判官になった男の話。グルシャとアズダックの話がここから始まります。

いきなり劇場に響き渡る朝比奈さんの声がまずカウンターパンチ。「音楽」というよりももっと素朴な、「おと」「こえ」の力強さに全編が彩られていてあっと言う間に世界に引きずりこまれる。役者さんたちは皆舞台を縁取るように円形に座り、出番のない間も舞台を創っている。「おと」もさることながら、「ひかり」の演出もまた見事で、青空が夕焼けになり、宵闇になり、ろうそくを使ったシーンの美しさもすごく印象的だった。本当はすごくテクニカルなのかもしれないんだけど、でもなんだかすべてが素朴で、色んな国の役者さん、演奏家が少しずつ舞台に参加したり混ざったりしているのが、作り込まれた感じがなくてまた逆に良いんだよなあ。

休憩時間に舞台上でグルジアワインを頂くことが出来て、さっさとトイレを済ませたあとは舞台上でワインとチーズを喰らいながらな〜んとも言えずのほほん気分に。そのままアズダックの裁判に民衆として参加(笑)真横に谷原さんが居たりしてまじめな顔の白塗りに笑う。アズダックの賄賂にいちいちブーイングしたり、谷章のいちいち細かいリアクションに笑ったり。ワインの力とこの楽しさですっかりオープンマインド状態。あ〜〜〜楽しい。この楽しさってなんなんだろう!

そんな状態で聴いたからなのか、二幕の途中で田中莉花さんが歌う歌でボロ泣きする。「愛しい人よ/戦いに出るときは/最前列にいてはだめ/最後列に居てもだめ」という歌。やっぱ歌の力ってすげえなあ、と田中さんの声に酔いしれました。二幕の展開はいわゆる「大岡裁き」で、日本人にはお馴染みの展開ではあるんだけど、それでもそこに行き着くまでのグルシャとアズダック、丁々発止のやりとりも非常に面白く、思わず固唾を呑んで展開を見守ってしまったり。

松さん、泥臭さはあまり感じられずどちらかというと知的な感じもあって、個人的にはもっと単純な役柄として見せてもらいたかったな、という気もしましたが、声の美しさと際だつ存在感、埋もれない役者だなあとほとほと感心。毬谷さん、七色の声は健在!いやもうすばらしい化けっぷり。知事夫人の屈託なく嫌みな感じと、義姉のなんだか愚鈍な感じと、役柄も千差万別ながら演じ分けも素晴らしくて堪能させていただきました。公爵役のひと、えっらい声が良いけど誰なんだ!と思ったら中嶋しゅうさんだった。納得〜。串田さんのアズダック、最後の10分間が絶妙に良い。谷原さん、清々しすぎる男前。清々しい、じゃなくて、すぎる、感じがまさに谷章ですよな!

最後の祭りの踊りの輪の中で、ひとり佇むアズダックの横顔が浮かび上がる。祭りの輪はどんどん大きくなり、ひとりまたひとりと誘われて輪に加わっていく様子は、まるで本当の、遠いどこかの国のお祭りを見ているようでした。なんだか見ているうちに涙が勝手に出て来ちゃって参った。観客との垣根を取り払うというよりは、客席と舞台という構造をそれごと違う世界にしてしまう、その力に脱帽。あの祭りの輪を見ている間、私は世田谷パブリックシアターの観客ではなくて、どこかの広場で祭りの輪を遠巻きに眺めている村人のひとりであった気がします。このトリップ感、やばい、癖になりそうだ。