「友達」

安部公房の戯曲を豪華キャストで上演。例によってキャストをあまり把握しておらず、SISのプロデュース公演だし4~5人の座組かなと勝手に思い込んでいたので、始まったらいっぱい出てきてめちゃくちゃ驚いた。

ひとりで暮らす男のところに総勢9人の家族が押しかけてきて…という話ですが、そのまんまで見ればむちゃくちゃ理不尽で、むちゃくちゃいやな気持になるホンでしかない。赤の他人が我が物顔で居座り、警察には相手にされず、理屈にもなっていない詭弁で男の暮らし、金、自由、すべてを簒奪するという話だから、嫌な気持ちにならずに見ろというほうが難しい。

しかしだとすると、その先があるはずなのではないのか、と思ってしまったんですよね。いやな話をいやな話として提示するだけなのか?という感覚が強く残った。というか、あまりにも押し付けられた理不尽がすぎて、途中見るのがいたたまれなくなったほどだ。こういう構造の話だからこそ、これを何に見立てるのか、という部分で演出の仕事がまったく見えてこなかった。なぜ今この戯曲?なぜ今この物語?テーマを持て、とかいうのではないけれど、「この作品に作り手が何を見ているのか」が正直、まったく伝わってこなかったというところ。

キャストは豪華で、豪華すぎるほどだったが、それもまたちょっと空しさがただよう、という感じに終わってしまった。次女の最後のセリフがやたらそらぞらしく響いた感じがあったな。

SISカンパニーのプロデュース公演は、こうした昭和時代の過去の劇作か、翻訳ものか、に相当頻度偏っていて、ホンができあがっている(しかもホンのクオリティの保証がなされている)というのは興行を打つ側としては大事な視点だろうとは思うものの、じゃあそれが私の観たい演劇なのかっていうとそうでもないってところが悲しい話です。