「十二月大歌舞伎 第三部」

「傾城反魂香」。勘九郎さん又平、猿之助さんおとくの顔合わせ。2008年の新春浅草で、当時勘太郎亀治郎だったおふたりが双方とも初役でおやりになってからもう12年(ほぼ13年)!それから勘九郎さんは複数回又平をやっておられますし、演目自体も別の方の顔合わせで(それこそ仁左衛門さんと勘三郎さんとか)拝見したりしておりますが、いやー今回の吃又はよかった。それが12年前のおふたりを思いながら見たからなのかはわからないけれど、すごく安直な言葉を使えば、この芝居には確かに舞台の魔法ともいうべき何かがあった気がする。

勘九郎さんの又平、回数を重ねるごとに装飾がシンプルになるというか、初役のときに「ちょっと写実によりすぎでは」と思ったところがなくなって、でも客席に伝える力は倍掛けで大きくなっている感じがした。猿之助さんのおとく、いや実際初役のときから「初役でこの完成度…!」って思ったけど、こちらもさらにその情愛の濃さ、それを「伝える」力の強さがいや増しに増していてすごかった。望みは絶たれた、という場面の、抑えていた感情がどっとあふれるさま、又平の手を取り撫でさするその動きのひとつひとつ、いやーもう気がついたらぼろぼろ涙が出てきちゃって参った。

今回、修理之助を鶴松くんがやっていて、これがまたむちゃくちゃよかったんです!!鶴松くん、思えばもともと芝居心がありすぎる人だった。それを思い出させるというか、あの又平に修理さま…と縋られるところ、又平を見る表情、思い切って刀の鞘を向けるときの動き、決意のさま、それを受ける勘九郎さんの芝居…と、あの一瞬に見応え要素が詰まりすぎてたよ実際。

ほんっとにいいもの見させてもらいました。同じ役を演じるのでも、こうして時を経て変化していく、それを12年という長いスパンで経験させてもらえるって歌舞伎ならではの楽しみだなあと思います。またいつか、というその日がくることも、心の片隅で祈っております。

「十二月大歌舞伎 第二部」

「心中月夜星野屋」。今月は第二部星野屋に七之助さん、第三部傾城反魂香に勘九郎さんなので、昨年春のこんぴらを思わせる流れ。七之助さんおたか、照蔵に中車さんの顔合わせはそのまま、今回は母お熊に猿弥さんという、もう顔ぶれからして間違いないと太鼓判を押したくなる。

3度目?の上演ということもあって、すっかり手の内に入ったという感じの安心感、そこに猿弥さんのどんどん笑いを上乗せしてくる縦横無尽ぶりが加わって、気持ちよくワハハワハハと笑って終われるのがすばらしい。おたかとお熊がしたたかであることは間違いないけど、それを言ったら最初に女の心を試そうとひと芝居うつ旦那もしたたかなわけで、この狐と狸の化かし合いぶりが楽しいし、最後にどっちもちょっとだけ痛い目を見るというオチ(落語が元ネタだから、ここはサゲと言うべきか)も個人的には好きなところ。

中車さん、去り際に「death!」をやってくれたんだけど、そのときの客席の沸きようたるや。出のときの期待感といい、歌舞伎座でもしっかり「客を連れてくる役者」になったなあとしみじみしました。

「23階の笑い」

三谷幸喜さんが再びニール・サイモン戯曲の演出に。上演時間をなんと1時間45分でまとめて、グッとギュッと濃縮した時間で見られるのが最高。短くて面白い芝居最高。いや冗談抜きで三谷さんのこの柔軟性というか、時節に合わせる、という姿勢はもっと多くの人が見習ってもいいのでは。

米国三大ネットワークのひとつ、NBCで看板コント番組を持つマックスとその放送作家集団を描いた物語。予算!リストラ!時代の波!政治的圧力!そういったいつの時代も起こることに振り回されながらも、職業として「面白いこと、笑えること」にこだわり続ける人間たちが登場人物で、ニール・サイモンの自伝的作品とも言われているらしい。三谷さんもかつて放送作家、ドラマ脚本家としてさまざまな軋轢を経験している人だし、あの作家部屋の雰囲気も含めすごくストレートに演出しているなという印象でした。ああやってどんなことも洒落のめしていく作家たちに、すごく愛情があるというか。

最初は、これは「藪の中」じゃないけどマックス自身は出てこなくて、作家たちがマックスを語っていくタイプの戯曲か…?と思っていたら、あっさり登場したのでちょっとびっくり。最初に不在のマックスのことをすごく大きく語るので、登場したら矮小化しちゃうやつではと思ったけど、小手伸也さん獅子奮迅の快演で観客があっという間にマックスという人物に馴染んじゃったのはさすが。

舞台となっている時代はアメリカに赤狩りマッカーシズムが吹き荒れた時代でもあって、その「何かがどんどんダメになっていくような空気」っていうのは、今客席のこちら側にいる私たちも如実に感じるところがあるわけで、その中で「面白いものを作ろう」と奮闘する姿に、時代は違えど一種のシンパシーをもって見てしまうところがありました。

放送作家たちがまた個性的な人物ばかりで、それを端から端まで豪華なキャストが演じるのが楽しかったなー。みんなうまいからもう、安心感しかない。浅野さん、常にビシッと決めた細身スーツのお衣装で、最後にはタキシードまで着て下さるもんだから、いや最高か…?もうずっと浅野さんだけを眺めていたい…と思うほどでしたよ。吉原光夫さんの尋常じゃない声の良さ(と声量)、白スーツのくだりは三谷幸喜のコメディ感満載でよかった。小手さんの存在感はいわずもがな。

初日に拝見したんですけど、ラストのモノローグで瀬戸康史くんがむちゃくちゃ感極まって涙ぐんでしまっていて、それが役のキャラクターにも不思議とマッチしていて、いやーなんかいい瞬間だったな。物語で描かれた放送作家たちのように、この座組にも今日この日に辿り着くまでの有形無形のプレッシャーがあったと思うし、そういう現実と物語が一瞬シンクロしたような時間だったなと思います。

世田谷パブリックシアター感染症対策で客席との間に仕切りをつけているんだけど、前方の視界には影響なく、左右の視界が制限されることで集中力が削がれず、実際の効果はわからないけれど安心感あるなあ…と思いました。そういえばカーテンコールのときに初日だから?ブラボーだか何だか叫んだ客がいたけど、まじやめろし。本当、客席での発声(開演前のおしゃべりもふくめ)気をつけたいし、もっと注意喚起してもいいぐらいだぞーと思いました。

芝居とは関係のない話ですが

パラドックス定数の今回の芸劇シアターイーストでの公演、私は劇団先行予約でチケットを買い、開演の45分前には劇場前にいたわけですけど、そこで見ていて思ったことをちょっと書かせていただきます。

なぜ45分前に行ったかというと、チケットには「開場時間より整理番号順でのご入場」とあり、チケットには整理番号が印字されていたんだけど、同時に「受付開始は45分前、開場は開演の30分前」という案内がチラシや公式HPなどでなされていて、この「受付開始」とは何…?というのがいまいちよくわからず、45分前に到着するようにしたわけですね。で、結局のところ45分前から開始されたのは、当日券及び当日精算券を持っている方の受付だったわけなんですけど、同時に「劇団先行予約特典のおまけの引き換え」も同じ列で処理されてたわけなんですよ。
これはよくない。
ただおまけを引き換えるという工程の少ない作業と、予約を確認し、お金を払い、お釣りを渡し…という工程が発生する(つまり、かかる時間がまったく違う)客を同じ列で捌くのはマジでいたずらに行列を長くさせるだけでなんのメリットもないです。

劇団の名物といえば名物なので継続するという方針に否やはないけれど、チケットすら自分でもぎらせようかという昨今の事情の中でおまけの受け渡しをどうするか、というのはもっと練られてよかったのではないかと思いますし、できれば先行予約済の客には改めて「受付」の必要はなく30分前から番号順に入れる、会場前に人をたむろさせないためにも開場時間ぴったりを目指してきてくれ、ぐらいのアナウンスがあってもよかったのではないでしょうか。

おまけの引き換えは入場後でもできる、とスタッフの方に聞いたので私は列から離脱しましたが、列ができてしまうと「よくわからないが並んでおこう」という心理に働きかけちゃうし、もうちょっとやるべき作業と集まるキャパをふまえたオペレーションをした方がよかったのではと思いました。

「プライベート・ジョーク」パラドックス定数

パラドックス定数が芸劇シアターイーストに!勢いを感じる。今回の上演にあたって劇団がyoutubeチャンネルで2018~2019にシアター風姿花伝で連続上演した一連の「パラドックス定数オーソドックス」を無料で公開したのもかなり集客に奏功したのではないでしょうか。

とある学生寮に住む3人の若者。ひとりは文学(劇作)を、ひとりは絵画を、ひとりは映像作家を志しているらしきことがその会話の端々から読み取れる。そこにあらわれる2人の天才。ひとりはどうやら絵画でその道を究め、もうひとりは天才物理学者であることがわかる。

当日パンフのキャスト紹介には役柄それぞれの頭文字しか振られていないが、野木さんはいつも参考文献を当日パンフに掲載されるので、そこにある書名でその頭文字が誰なのかは推察することが可能。しかし、Das orchesterのときも「フルトヴェングラー」という名前は一度も呼ばれなかったように、今回も入念に、丹念に彼らの固有名詞は台詞から取り除かれている。名前を呼んだ方が絶対に楽だし自然だとおもう場面であっても、慎重に回避されている。それによって若者3人が「まだ自分が何者でもない」という焦燥に身を置いていることにリアリティを持たせたかったのかもしれない。現れる天才2人は「闘牛(つまりスペイン)」「ノーベル賞」というヒントも多く、何より「天才」のアイコンになるような人物なので推測も容易であり、すでに「何者かである」存在として現れるのもよい対比だった。

私は今回当パンを読まずに作品を見たので、だんだんとヴェールがはがれるように人物の推測をしながら見るのも面白かった(とはいえ詩人は最後まで具体的名詞が思いつかず)。3人の友情、というか束の間の連帯というか、それに罅が入っていく描き方や、3人の生きることへの覚束なさが、どこか倦んだような天才2人に波紋を投げかけるさまをぐいぐい台詞で描いていくところ、野木さんらしさが爆発してたな。あと同じ場面で違う時限にいるキャラクター同士が会話をする場面が複数あったんだけど、こういう舞台だからこそできるトリッキーな表現が大好物なので、そういう新鮮さも楽しめてよかった。

個人的にはパリに行った画家と映像作家が学生寮に戻ってきて、そこで「出て行ったときのままそこにいる」かのような作家と起こす軋轢のヒリヒリ具合が好きだったな。その前の場面の、学者との「自然界で動かないでいることの不自然さ」という会話がよく効いていた。でも誰しもああいう、自分の足元を見ていることしかできない時間というのはある気がする。

シアターイーストの広い間口をむちゃくちゃ小さく区切っていたので思わず笑ってしまったんですけど、折角の広いコヤなのでそこでしかできない表現というのがあってもよかったよなーとは思いました。キャストの皆さまはもう安定のクオリティ。植村さんの声の良さ、今回も冒頭から大爆発。ありがとうございます。次回公演はしばらくお休みしてからお知らせしますとのこと。楽しみに待っております!

「フリムンシスターズ」

コクーン芸術監督になった松尾スズキさんの新作ミュージカル?いや音楽劇といったほうがいいのかしら。大阪公演はオリックス劇場というコクーンに比べるとかなりの大箱。しかしありがたくも最前列で拝見させていただいたのです。最前とはいえ舞台ツラからは2メートル以上離れてるんですけどね。

しかし、こんなにめぐまれた席で見ていても、なんかいまいちぐっと舞台の圧を感じるような瞬間のないままラストを迎えてしまったという感じがあった。沖縄から身ひとつで出てきて、自分の芯を持たないまま、漫然とコンビニで働き、給料はもらえず、ときどき店長と寝て、それを店長の妻も察していて…という、主人公の置かれた環境の「ぬるい地獄」さ、主人公だけでなく松尾さんのよく言う「人間性をはぎ取られたところ」に置かれた登場人物がどんどん出てくるのも、松尾さんらしさは満開だと思うのだけど、しかしどうも切実さを感じることができなかった。

この、ちひろのような登場人物を舞台のうえで描くという点において松尾さんはまさにパイオニア的存在だったといっていいと思うんだけど、今そこに松尾さんの興味というか、切実さがあるのかな?という感じがしてしまった。それは秋山菜津子さんのみつ子とサダヲちゃんのヒデヨシの関係にしてもそう。「命、ギガ長ス」なんかは、そのピントの合いようがそら恐ろしいぐらいだったので、松尾さんももう少し先を書きたい欲があるのではないのかなあなんて思ったりしてしまった。

まあ、わたしが基本的にミュージカルを得意としていないってのもあるんだろうけど。あと舞台ツラで役者に何か食べさせて噴き出させて…っていうシーンは、いかに皆川さんの愛嬌をもってしても、このご時勢前方席の客を引かせる効果しかないと思う。ささいなことだけど。

長澤まさみちゃん、コンビニ幽霊というには輝きがすぎるきらいがありましたが(できればラストシーンのようなスタイルでもう1,2曲ぐらいあってもよかった)安心感のあるセンター。あとはオクイさんの仕事っぷりがやっぱりすばらしかったね。2役目であの弟がきたとき心の中で「待ってました!」って快哉をあげたもんね。皆川さんもとてもよかった。サダヲちゃんと秋山さんのコンビをたくさん見られたのもありがたかった。サダヲちゃん、ほんと舞台に彼が出ているときはそっちしか見られなくなるマジック健在すぎる。無事快復されてこの舞台の幕が上がってよかったです。そうそう、史上最短のカーテンコールもいい!あれは継続してもらっても一向にかまわない(笑)。

「獣道一直線!!!」

ねずみの三銃士、企画第4弾。なんとなくこういう企画ものって「3」で打ち止めみたいな気に勝手になっていたので「続くんかい!」とツッコミつつも楽しみにしておりました。今回は木嶋佳苗の事件をモデルに売れない役者3人の人生とひとりの女性を描く構図。このねずみの三銃士、第2回から一貫して女性を真ん中に置く構図になってますよね。古田新太生瀬勝久池田成志という3人の猛者を芝居の中で配置するのに、その方が書きやすいってことなのかな。

今回その芯になったのは池谷のぶえさんなんですけど、いやもうこれでのぶえさんが今年の演劇振り返りで名前が上がらなかったらウソだ、というほどに無双、無双of無双、光り輝いてました。すごい。古田・生瀬・池田を前にしてなにをやっててものぶえさんが輝くあの存在感。もちろん、この構図をちゃんと把握してどの場面でも絶妙な塩梅で芝居の押し引きを決めてる三銃士のお三方もすごい。冒頭、これ完全につか芝居だろ!というテンションでちょっとぞくっとしたよね。そこにしっかり異物感のある宮藤さんと山本美月さんというコンビが入るのも効いてた。

木嶋佳苗の事件をモチーフとするときに、ある種のルッキズムに触れずに展開させていくのは難しいというか、事件の概要を聞いたときに人が心の中に描くファムファタールな像と、ニュースで知らされるそれに多かれ少なかれ乖離がある、乖離があるからこそひとはこの事件を取り上げたがる…という部分が絶対ありますよね。なので、宮藤さんとしてもそこは慎重に書かなきゃいけないところだという自覚はありつつ、しかし反対に抉らなさ過ぎても成立しない、というところがあり、難しい綱渡りだなと思いながら見ていました。「私はあなたがたの想像力を軽く超えていきますから」って台詞は、そういう綱渡りのことを思うと、これ以上に作中の彼女の本音を現しているものはないのかもという気がします。

序盤、ヤりたい一心の男の目にはこう見える、というようなネタ的に見えた入れ替わりが、事件にのめりこんでいく妻と、その事件を語る女が最終的に入れ替わることで、彼らの主観を通して見る像のゆがみ、あやふやさ、頼りなさを突きつける構図になっていたのもよかったです。あと、3キロ太っちゃった、という妻の言葉に夫が慰めの言葉をかけるんだけど、そのあとの妻の返しが、これは今までの宮藤さんからは出てこなかった台詞だなー!と思って面白かった。

あちこちに差し挟まれる笑いのネタがんまーよくウケていて、最初は私もあんまりアハハと笑わない方がいいのかな…とか気にしてましたが、けっこう声出して笑っちゃってたな。蜷川さんもその灰皿は投げてない!とか。笑わせて笑わせて、最後あの冗談みたいな歌でぐっと落とす。河原さんの演出も派手さはあるのに無駄がない、信頼のクオリティでした。そうそう、「魔性の女」のナレーションが橋本さとしさんで、内容も相俟って最高のいい声無駄遣いだな!って感じでよかったです。