「藪原検校」

  • パルコ劇場 N列14番
  • 作 井上ひさし 演出 杉原邦生

猿之助さんで藪原検校、と最初に発表があった時点でそ、それは…観たすぎるやろー!と思い、とはいえ共演者に三宅の健ちゃんいるしなー!チケット取れないやつやないかー!とダメもとで申し込んだ抽選で当ててもらいました。ありがとうございます。

私もそれなりに井上ひさし作品を舞台で拝見していて、もちろん好きな作品もあるんですが、実は藪原検校はちょっと苦手タイプなんですよね。表裏源内とかも苦手。井上ひさし作品でも後期の「ロマンス」とかのほうが波長に合うというか、そう考えると若い頃の作品よりも晩年の作品の方が好みなものが多い。藪原検校自体は他の演出家でも拝見したことがあって、そのときも「苦手だなあ」と思ったんですけど、そう思いつつ今回足を運んだのは、猿之助さんが杉の市をやるからという点に尽きる。

悪逆非道、お主殺しはもとより女も行きずりの人間も邪魔だと思えば皆殺す。しかし最初に人を殺めて産みの母に助けを求める場面ではかれはまだ人間らしいかたちをしている。そのかたちが母を殺してからどんどん変わってくる。見た目は立派に、豪奢に、けれどもその内実は…という杉の市を、もう全編正解しか叩きださないという芝居で板の上に乗せる猿之助さんの見事さよ。愛嬌と悪辣さが同時に存在するあの表情!所作の確かさ、美しさ、ほんの少しの姿勢の変化で役柄の内心を表現する的確さったら。

この作品には主人公である杉の市が「まことに立て板に水」に早物語をする場面があり、この杉の市をやる役者はこの部分を「モノに」しなくちゃいけないわけで、それにはただ台詞をおぼえればいいというものとは全く違う「語りの芸」が必要とされる。いやもうめちゃくちゃ期待していて、その期待の遥か頭上を越えていったね。ホントあの場面だけずっと見ていたいぐらいだったよ。大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、過去のいつかの時代に、こんなふうに人は人の語る物語を聞いていたにちがいない、と思わせる引力が、引力と、芸の力があった。

塙保己市が三宅健くんで、これは意外な配役だなーと思ってたんだけど(直近では小日向さんとか段田さんとかだもんね)、杉の市との対話の場面では終始トーンを一段落とした台詞回しで、あの奇妙に明るい声で「お祭りみたいな人ですね」と杉の市を評し、道は違えどどこかでひそかな連帯を感じているというのが節々に感じられたのがよかった。だからこそ、最後の残酷さがむちゃくちゃ効く(蕎麦のくだりの凄みよ)し、達観し、完成された人物、というところから距離があるのが今回ならでは、三宅健ならではという感じだった。

実のところこの作品でいちばんの重労働は盲太夫なのではと観た人はみんな思ってそうだけど、川平さんの盲太夫も私は好きだったなー。音楽との相性もよかったし。出てきたら確実に仕事をする芸達者ばかりの座組で、佐藤誓さんとかもういつ何時どこで見てもしっかり爪痕残すタイプよなー!とうれしくなりました。

これはあの当時、「社会」というものの「外」に置かれるしかなかったものたちのカウンターとしての物語であって、そうした場面、台詞をしっかりこちらに届けてくれる作品になっていたと思います。