「ブラック・ウィドウ」

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お待たせしました、お待たせしすぎたかもしれません、の定型句に乗っ取れば文字通り「お待たされすぎた」し、「本当に劇場で見られる日がくるのか気が気じゃなかった」本作。最終的にディズニープラスプレミアとの(ほぼ)同時公開という形にはなりましたが、日本でも1日だけ公開日を早め劇場公開に踏み切ってくださる映画館もあり、ありがたいことでござんす。ディズニーに対してあまりどうこう思わないようにしていますが、劇場公開を蔑ろにしないでほしいし、少なくともわたしは劇場公開っていうエンジンがないと配信を熱心に追いかけるタイプじゃないので本当頼みます。というわけで、アベンジャーズシリーズを支えたブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフの単独作、ようやくの公開。監督はケイト・ショートランド

シビルウォーのあと、インフィニティ・ウォーの前、というタイムラインに起きた、ナターシャの「個人的な」「ケリをつけなきゃいけない案件」を描いています。過去にケリをつけたと思ったものが亡霊のように浮かび上がってくる。彼女の子ども時代、「家族」、そして今の「居場所」。まさにナターシャ・ロマノフの、ある意味ごくパーソナルな映画。

シビルウォーで追われる身となったナターシャが、インフィニティ・ウォー冒頭でキャップたちと共闘しているというその部分を非常にうまく繋げる、繋げるというのは動機的な意味合いですが、そこに「なるほどね」と腑に落ちる展開を用意していて、MCUはそのあたり、おさおさ怠りないな…と感嘆しました。あれだけクールで、何にも頼らずに生きていける力があっても、彼女にとってSHIELDやアベンジャーズは「自分を再生させる、得難い場所」であったわけで、それをシビルウォーで分解されたことがどのようなダメージで、そこからどう立ち上がったか、という。ある意味ブラック・ウィドウのリ・オリジンふうに見せているのがうまい。

この映画を見た万人がそういっているのではないかと思いますが、エレーナを演じたフローレンス・ピューは文字通り破格の素晴らしさ。今までのMCUになかったオフビートなテンポ、「スーパーヒーロー着地」を揶揄してみせるトーン、かと思えば誰よりもエモーショナル…。ポストクレジットシーンで、このあとのエレーナのMCUでの登場が期待できる種をしっかり蒔いていくのもさすが、MCU仕事ができるぜ、という感じでした。

個人的に胸がスカッとしたのは、アレクセイに「生理か?」とからかわれたときのナターシャとエレーナの返しの鋭さ!私はエイジオブウルトロンの、ナットとブルース・バナーのどう考えてもねじ込まれたロマンス演出が本当に受けつけなかったし、ナットが子宮を摘出されていることを告白するときのトーンもほんとにやだなあと思っていたので、あのシーンはよくぞ言ってくれた!!と思いました。子どもを持つ可能性を奪われたことはもちろん悲劇だろうが、同時にもっとすごい現実とウィドウたちは戦っているわけで、あの「赤ちゃん…産めない(ぴえん)」みたいなトーンって本当「男性から見た物語」だなって感じだったので。

あといわゆるヴィラン、悪役がマジでクソofクソだったので、いやこんなに胸糞悪いやついます!?ってぐらい胸糞でしたね。そしてそれはこの映画で、そうした糞に人間性と少女時代を奪われ続けている世界があることへの一種のアンチテーゼでもあったろうと思います。まあ個人的にはあれだけでかい空中要塞、気づかれないとかあります…?とかも思いましたけど。ドレイコフがアベンジャーズに手を出すことはしない(ぶっ叩かれるから)というのも、弱いものだけに強く出る例のやつ~~って感じで胸糞に拍車をかけてました。その相手に舌先の駆け引きでほしい情報をどんどんとっていくナットの凄腕ぶりよ~~!!そして生き残るための執着とスキルよ~~!!このあたりが存分に味わえたのもよかったところでした。

「家族」への回帰みたいなところに物語が集約していくところはあまりぐっとこなかった部分があり、あとタスクマスターの正体にもいまいち食いつけませんでしたが、しかしここまでこのMCUを支えてきたナターシャ・ロマノフ、スカーレット・ヨハンソンを送るのには相応しい、これからの女性を描く、女性たちによる作品だと思いましたし、大きな花束のような拍手をもって彼女を見送りたい気持ちになりました。ほんとうにおつかれさま!